(凪)一月の終わりの会のあと、雑談の流れで「失恋した夜に何を観るか」という話になって、それがあまりにも止まらなかったので、そのまま特集にしてしまいました。候補はメンバー全員から出してもらって、全部で四十近く集まったんですが、そこから話し合って十二作品に絞っています。
選ぶときに決めたのは一つだけで、失恋の物語かどうかではなく、その夜に自分が何を感じたいかで束ねる、ということでした。思い切り泣いてしまいたい夜もあれば、泣くのはもう十分で、少し笑いたい夜もある。だから、下の六つの束から、いまの自分にいちばん近いものを一つだけ選んでみてください。全部を一晩で浴びる必要は、まったくありません。
思い切り泣いてしまいたい夜に
涙を我慢しているうちは、朝がなかなか来ません。誰かの物語を借りて、先に泣いてしまうための三つです。
(はるまき)家族が寝たあと、洗い物を残したまま再生しちゃいました。終電を逃した夜に出会った二人が、好きな本や映画がびっくりするくらい重なって、一緒に暮らし始めて、それから少しずつ、話すことがずれていく。五年間を、鍋でことこと煮込むみたいにじっくり見せてくれる映画です。
いや、ほんとに、別れ話の場面がつらいんですよね。二人がよく通っていたファミレスで、昔の自分たちみたいな若い二人が隣の席に座る。それを見たときの二人の顔で、はるまきは完全にだめになりました。でも観終わったあとは、たたみ終えた洗濯物みたいに、気持ちが少しだけ片づいていました。失恋したばかりの夜にこそ、と思える一本です。
(オト)
夜勤明けではなく、夜勤の前。
まだ明るい帰り道で、ひさしぶりにアルバムを頭からかけた。
表題曲は四曲目。
二曲目から、少しずつ体温が上がっていく。
だから、あの曲が始まるころには、もう準備ができている。
歌っている人が十代だったことを、聴くたびに思い出す。
それなのに、終わった恋を、ずいぶん遠くから見ているような声。
点滅する信号の前で、立ち止まったまま一曲ぶん。
泣きたいのに泣けない夜は、アルバムごとどうぞ。
(いちょう)課題の途中でランキングを流していたら、気づいたら三回リピートしてました。別れたあとの側から歌われている曲で、同じ人の「かくれんぼ」という曲と対になっているのをあとから知って、両方を続けて聴いたら、帰りの電車の窓に映る自分の顔がちょっとひどかったかも。
言葉がとてもまっすぐなので、恋が終わったばかりの人には強すぎるかもしれません。でも、強すぎるくらいのほうが泣ける夜もあると思います。
届かなかった思いに、ゆっくり浸りたい夜に
終わった恋というより、始まらなかった恋。言えなかったことに、名前をつけてあげるための三つです。
(凪)第一話の、大雪で電車が何度も止まって、約束の駅にどんどん遅れていく場面の話からさせてください。車内の時計の針が進むたびに、こっちの喉まで締まっていくんです。
全三話、あわせて一時間ほどの短い作品なので、失恋した夜でも最後まで浴びきれると思います。何回観ても、最後の踏切の場面で自分は息を止めてしまうんですが、あれを悲しい終わり方だと思うか、やっと歩き出せた終わり方だと思うかで、その夜の自分の状態が分かる気がしています。
(草餅)美大の片すみで、みんなが誰かを好きで、その誰かはたいてい別の人を見ている。うちはこの漫画で、片思いの人が泣いている見開きを、何度も閉じたり開いたりした。
山田さんが、好きな人の背中におぶわれて帰る場面がある。その人が自分を好きにならないことは、もう分かっている。それでも、背中のあたたかさだけは本物なんだ……。コマとコマのあいだの沈黙が、夕焼け色に見える漫画だった。
報われなかった思いにも、ちゃんと意味があったと思わせてくれる。冬の夜に、一巻からどうぞ。
(こはぜ)読み手が変わるたびに、一行目の声の温度がまるで違うのです。ぼくは、少し低い声で読まれたものに何度も戻ってきました。
雨の日、少年の下駄の鼻緒が切れて、それが思いを寄せる少女の家の前だった。少女は格子の内側から布の切れ端を投げてやるだけで、声をかけることができない。この場面の、読み手の声が変わる一瞬が、耳の奥でずっと鳴り続けています。障子一枚ぶんの距離が、どうしても越えられないのです。
古い言葉なので、目で読むと少し重たいでしょうか。けれど耳で聴くと、不思議なほどすっと入ってきます。明かりを消して、目を閉じたまま聴いてみてください。
泣くのはもう十分で、少し笑いたい夜に
二日目、三日目の夜のための二つです。
(タカノツメ)結論から言う。失恋のあとに観るべき会話劇の、これが一番辛口なのだ。
離婚したはずの夫婦が、なぜか同じ家に住み続ける。夫は細かいことにいちいち文句を言い、妻は負けずに言い返す。その言い合いが、あとからぴりっと効いてくる唐辛子のようなもので、笑っているうちに、自分がかつて口にできなかった不満まで思い出してしまう。脚本が、人の身勝手さをこれでもかと可笑しく書いているのである。
小生は第1話で三度吹き出し、最終話で黙った。一話ずつ区切って観るのがよい。来週まで待てない気持ちは、配信の時代でもちゃんと味わえる。
(ぬか)読み終えて最初にしたことは、明日のお弁当の卵を割ることでありました。
物語は、主人公が恋人にふられるところから始まります。落ち込んで食欲もない彼女に、職場の上司のアッコさんが、一週間、お互いのランチを取り替えようと言い出す。そこから毎日、行ったことのない店、知らなかった味に連れ出されていくのです。
わたくしは、ふられた夜ほど、ちゃんと何かを食べたほうがいいと思っております。この本は、そのひとくち目を思い出させてくれます。読み終えると、白いごはんが欲しくなります。短い連作なので、一晩で読み切れます。
終わった理由を、静かに考えたい夜に
泣くでも笑うでもなく、ひとつずつ思い返したい夜のための二つです。
(ロク)上映時間は百八分。その大半は、一人の男の頭の中で進む。
別れた恋人との記憶を、機械で消してもらう話だ。消されていく途中で、男は思い出の中を走り回り、彼女を別の記憶の中に隠そうとする。画面の端に、崩れていく部屋や、消えていく人の顔が映る。記憶の骨組みが一本ずつ抜かれていくような絵だ。
要するに、嫌な記憶だけを都合よく消すことはできない、という話だと僕は受け取った。泣けるかどうかは人による。ただ、観終えたあとに、自分の恋の配線を一度たどり直したくなる。
ゲーム・2018年
『Florence』Mountains
(ヤギ)スマホを持ったまま、しばらく指が動かなかった。
言葉がほとんど出てこないゲームだ。二十五歳の女性がチェロ弾きの青年と出会う。会話の場面では、吹き出しの形をしたパズルを組み立てる。最初はピースが多くて難しいのに、仲が深まるにつれて、少ないピースで話が通じるようになる。そして、けんかの場面では、またピースが増える。ここで一回スマホを置いた。
全部で三十分と少し。長い坂道を下りきったあとのような終わり方で、俺はそれを悪い終わりだとは思わなかった。失恋した夜に遊ぶゲームとして、これより短くて、これより刺さるものを知らない。
ひとりの夜を、ひとりのまま味わいたい夜に
誰かに話を聞いてほしいわけではない夜のための一冊です。
(灯)夜の十一時すぎに、最後の頁を閉じました。雨はもう止んでいたと思います。
いなくなった恋人が必ず迎えに来ると信じて、母と娘が町から町へと引っ越しを続ける物語です。母は待ち続けていて、娘は少しずつ、その待ち方から離れていく。どちらの気持ちも分かるので、読んでいるあいだ、少しだけ息が浅くなりました。
失恋の物語として読むと、たぶん少し寂しすぎます。でも、ひとりでいることを急いで埋めなくてもいい、と思える本です。夕方の光が残っているうちに読み始めて、夜に読み終えるのがいいと思います。
自分を少し許してあげたい夜に
最後は、自分の欠けたところを責めないための一冊です。
(めじろ)読み聞かせのとき、子どもよりあたしのほうが先にだまってしまった絵本です。
ひと切れ欠けたまるが、自分にぴったりのかけらを探して、ころがっていきます。やっとぴったりのかけらが見つかって、まるくなれたのに、そうなってみると、前みたいに歌えなくなってしまう。そしてまるは、そっとかけらを置いていくんだなあ。
欠けているのは、悪いことじゃない。そう言われている気がして、ページをめくる手がゆっくりになりました。毛布をかけてもらうみたいに、短い時間で読めます。
この特集の使い方
(凪)ここまで読んでくださって、ありがとうございます。最後に、選んだ十二人で話したことを少しだけ。
失恋した夜の感情浴は、一つだけにしておくのがいいと思います。泣く作品のあとに笑う作品を足すと、どちらも半分になってしまうので、今夜はこの束、明日はこの束、というふうに、何日かに分けて使ってください。
それから、観ている途中でつらくなったら、止めていいんです。作品は逃げないので、また別の夜に、続きから浴びれば十分です。
場面「失恋した夜」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「泣きたい」「切なくなりたい」からも、近い作品を探せます。











