ラルム / 特集

2022.06.18まとめ 栞選んだ人 栞・オト・灯・凪・めじろ・ロク・鹿の子・ヤギ・はるまき・ぬか

雨の日に浴びたい十の作品 窓の音を伴奏にして

(栞)先月の会が終わって、みんながマイクを切ったあとも、私の部屋ではしばらく雨の音だけが続いていました。梅雨入りの知らせが出た週のことです。

その音を聞きながら、雨の日にしか浴びられない作品があるのではないか、と思いました。翌日のやりとりでそう書いたところ、十人から二十六の候補が集まりました。そこから三回に分けて話し合い、十作品に絞ったのがこの特集です。

選ぶときの順番は、まず雨の日に自分が何を感じたいか、次に媒体、最後に長さ、と決めました。雨の日の気分は、一つではない気がします。雨音に沈んでいきたい日もあれば、閉じこめられた一日を明るく過ごしたい日もあります。下の五つの束から、いまの窓の外にいちばん近いものを選んでみてください。


雨音を伴奏にして、静まりたい日に

外の音を消さずに、そのまま作品の一部にしてしまうための二つです。

『ワルツ・フォー・デビイ』の表紙

音楽・1961年録音

ビル・エヴァンス・トリオ『ワルツ・フォー・デビイ』

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(オト)
午前五時、雨。
バス停の屋根の下で、イヤホンを耳に入れた。

小さなジャズの店で録られたライブ盤。
グラスの触れる音や、客の話し声がそのまま入っている。
ピアノとベースとドラムの三人は、それを止めようともしない。

二曲目から、雨の音と店のざわめきの区別がつかなくなる。
濡れた舗道に、街灯がにじんでいくような音。

ベースを弾いていた人は、この録音のすぐあとに事故で亡くなったと、あとで知った。
知ってから聴くと、少しだけ違って聞こえる。
知らないまま聴いても、十分に静かになれる一枚。

エッセイ・2004年

江國香織『雨はコーラがのめない』

(灯)土曜の午後三時すぎ。窓の外が暗くて、明かりをつけたまま読み終えました。

作家が、一緒に暮らす犬と、そのそばで聴いた音楽のことを書いたエッセイです。犬の名前は、雨といいます。一編ずつが短く、どこから開いても構いません。

音楽の話なのに、読んでいるあいだ、耳には外の雨の音が入っていました。それが少しも邪魔になりませんでした。犬と人が同じ部屋で、それぞれ別のことをしている。その距離が、雨の日の部屋にちょうど合うのだと思います。

読み終えたら、文中に出てきた曲を一つだけかけてみてください。わたしはそれで、夕方まで静かにしていられました。


雨の日の寂しさに、ゆっくり浸りたい日に

誰かを待つ時間や、ひとりで歩く道。雨がそれを少しだけ寂しく、少しだけきれいにしてくれる二つです。

『言の葉の庭』の表紙

アニメ・2013年

『言の葉の庭』新海誠監督

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(凪)雨の朝、制服の男の子が学校へ向かう途中で行き先を変えて、都心の日本庭園の東屋へ入っていく、最初の数分の話からさせてください。傘に落ちる粒の音と、池の水面に広がっていく輪が、ほとんど台詞の代わりになっているんです。

靴職人になりたい十五歳の男の子と、平日の午前中からそこにいる年上の女の人が、雨の日だけ同じ屋根の下で過ごすようになる。お互いの名前も事情もほとんど話さないまま、雨が降るのを待つようになっていく二人を見ていると、自分まで天気予報を見るのが楽しみになってくるのが不思議でした。

四十六分と短いので、雨の午後に一本だけ、というのにちょうどいいです。梅雨が明けてしまえば、あの二人には会う理由がなくなる。その寂しさが終盤の階段の場面で一気に来て、ここ、本当に、喉がつまりました。何回観ても、雨の音を消して観る気にはなれない作品です。

『かさ』の表紙

絵本・1975年

太田大八『かさ』

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(めじろ)この絵本を子どもとひらくとき、あたしは声を出しません。文字がひとつもない絵本だからです。

絵はほとんど白と黒で、色がついているのは、女の子がさしている赤いかさだけ。女の子は、雨の中をお父さんの大きなかさを持って、駅まで迎えにいきます。町の人たちとすれちがい、水たまりをよけて、ひとりで歩いていく。その道のりを、ページをめくる手でいっしょに歩くことになります。

となりで見ていた子は、赤いかさを毎回指でさがしていました。ひとりで開くと、ちょっとだけ心細い散歩のようで、雨の日の寂しさがやわらかい毛布みたいになるんだなあ、と思いました。大人がひとりで開いてもいい絵本です。


窓の外が暗い日に、ぞくっとしたい

雨の音には、怖さを大きくする力もあります。明かりを少し落として浴びたい二つです。

『羅生門』の表紙

朗読で聴く・1915年

芥川龍之介『羅生門』

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(栞)雨の夕方に聴くと決めて、窓を少しだけ開けてから再生しました。

雨の夕暮れ、仕えていた家から暇を出された男が、荒れ果てた大きな門の下で、雨がやむのを待っている。物語はそこから始まります。男が門の上で見てしまうものは、いま思い出しても少し身がすくみます。

短い作品なので、朗読なら二十分ほどで終わります。目で読むと、教科書で出会ったときの記憶がどうしても先に立ってしまう気がします。耳で聴くと、雨の描写と、男の気持ちが少しずつ傾いていく順番が、はっきり分かりました。本当に雨の降っている日に、目を閉じて聴いてみてください。男が消えていった闇の暗さが、部屋の中にまでにじんで残りました。

『セブン』の表紙

映画・日本公開1996年

『セブン』デヴィッド・フィンチャー監督

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(ロク)上映時間は二時間と七分。そのほとんどで、雨が降っている。

退職まで一週間の老刑事と、越してきたばかりの若い刑事が、七つの大罪になぞらえた連続殺人を追う。街はいつも濡れている。部屋の中まで湿っている。画面の端に、雨の筋の流れる窓がいつもある。

要するに、雨はこの映画の配線そのものだ。気分を暗くするための飾りではない。だから最後に雨が上がったとき、僕はほっとするどころか、背中が冷えた。乾いた光のほうが怖い映画は、そう多くない。

描写はきつい。食事の前には観ないほうがいい。外も雨なら、効きは倍になる。


一日やみそうにない雨を、一気に過ごしたい

外に出られない一日は、長い物語にとって味方です。時間を忘れて驚くための二つです。

『そして誰もいなくなった』の表紙

小説・1939年

アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』

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(鹿の子)なぜ、雨の日にミステリを読むと、あれほど時間が早く過ぎるのだろう。筆者はずっと、雨音が外の世界を遠ざけ、本の中の閉ざされた場所と自分の部屋とを、同じ間取りにしてしまうからだと考えている。

素性も職業もばらばらの十人が、会ったこともない主人に招かれて、海に浮かぶ小さな島の屋敷に集まる。天候が崩れ、島から出る手立てがなくなったところで、客たちは一人ずつ欠けていく。各部屋に掛けられた古い童謡と、食卓に並べられた人形が、その順番を静かに示している。

ところで、この作品の驚きについて、筆者はここで何も書かないことにする。ひとつ確かなのは、読み終えたときに、もう一度最初の頁へ戻って島の見取り図を頭の中で描き直したくなる、ということだけだ。朝から雨の日なら、夕方までには読み終えられると思う。

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の表紙

ゲーム・2017年

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

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(ヤギ)崖に手をかけたところで、雨が降り出した。

登れない。数歩ぶん登っては、ずるっと滑る。このゲームでは、雨が降ると岩肌が濡れて、主人公の手が滑るんだ。ここで一回コントローラーを置いた。

外も雨だった。画面の中と外で、同じ空を見上げてる気がした。

雨の日は崖をあきらめて、焚き火のそばで時間を進めるか、遠回りの道を探すしかない。雷の日には、金属の武器を持っていると雷が落ちてくる。天気ひとつで、行ける場所も、やることも変わる。遠くの山がかすんで見える雨の草原を、目的もなく馬で走っているだけで、一日がなくなる。外に出られない日のための、いちばん広い部屋だと思う。


沈んだ気分を、笑いと食卓で持ち上げたい

雨の日の少し重たい気持ちを、明るいほうへ傾けたい日のための二つです。

『雨に唄えば』の表紙

映画・1952年

『雨に唄えば』ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督

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(はるまき)子どもが寝たあと、洗濯物を部屋干しにしながら再生しました。外の雨がけっこううるさい夜でした。

無声映画のスターたちが、声の出る映画への切り替わりでてんやわんやになる話です。看板女優の声がどうにも映画向きじゃなくて、さあどうする、という騒ぎがとにかく可笑しいんですよね。

そして、あの有名な場面。好きな人を送ったあと、主人公が土砂降りの中で傘を閉じて、歌いながら踊りだす。街灯につかまってくるっと回って、水たまりを思い切り踏んで跳ねる。いや、ほんとに、びしょ濡れなのに楽しそうで。部屋干しの洗濯物の湿っぽさまで、ちょっと許せる気がしちゃいました。

『甘々と稲妻』の表紙

漫画・全12巻

『甘々と稲妻』雨隠ギド

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(ぬか)最終巻を閉じたとき、わたくしの頭の中にあったのは、土鍋で炊いたごはんの湯気でありました。

妻を亡くした高校の数学の先生と、幼稚園に通う娘が、教え子の家のお店で、一緒にごはんを作るようになるお話です。先生は料理がほとんどできず、教え子も手際がよいとは言えません。三人でおそるおそる炊いた土鍋のごはんを、娘がひとくち目でほおばる場面で、わたくしはすっかりやられてしまいました。

大きな事件は起きません。けれど、亡くなった人の不在が、ときどき台所にふっと影を落とします。その影ごと、湯気の立つ食卓がやさしく包んでくれる。雨で買い物に出られない日でも、冷蔵庫にあるもので何か作りたくなる一冊です。白いごはんが欲しくなります。


雨の様子で選ぶなら

(栞)最後に、話し合いの途中で出た「雨の降り方で選ぶ」目安を残しておきます。

雨の様子 合いそうな作品
しとしと、細く降り続く 『ワルツ・フォー・デビイ』『雨はコーラがのめない』『言の葉の庭』
窓を叩くほど強い 『羅生門』『セブン』
朝から一日やみそうにない 『そして誰もいなくなった』『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』
夕方には上がりそう 『雨に唄えば』『甘々と稲妻』『かさ』

雨の日の感情浴は、作品そのものより、窓の音と混ざったあとの響き方のほうが心に残る気がします。同じ作品を晴れた日に浴び直すと、別のものに聞こえることもありました。

場面「雨の日」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「静まりたい」「寂しさに浸りたい」からも、近い作品を探せます。

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