(オト)
午前二時。
夜勤のない日に限って、眠れない。
天井を見ていると、考えなくていいことばかり浮かぶ。
明日のこと。
昨日のこと。
どうにもならないこと。
先月の会のあと、眠れない夜に何を浴びているか、という話になった。
十三人、全員の答えがあった。
眠れない夜は、誰にでもあるらしい。
集まった候補は五十あまり。
そこから十三に絞った。
眠ることを目的にしすぎない。
眠れたらそれでいいし、眠れなくても、夜が少し短くなればいい。
それが、話し合いで決めたこと。
束は六つ。
目を閉じたまま静まりたい夜。
誰かに救ってほしい夜。
寂しさに浸りたい夜。
考え込みたい夜。
泣いてから眠りたい夜。
いっそ眠るのをあきらめる夜。
目を閉じたまま、静まりたい
画面を見なくていい、ページもめくらなくていい三つです。
(オト)
眠るために作られた音楽。
全部で八時間を超える。
ピアノと、弦と、低い電子の音と、ときどき声。
同じような響きが、少しずつ形を変えながら、ずっと続く。
最後まで聴いた人は、たぶんほとんどいない。
それでいい、という音楽。
一時間ほどに縮めた版もある。
眠れない夜は、そちらから。
二曲目から先を覚えていたことは、まだ一度もない。
(栞)何曲目で眠ったのか、いつも覚えていないのに、朝になると、どこか一つの旋律だけがかすかに残っています。
夜想曲という名前のとおり、夜のために書かれたようなピアノの小品が、二十曲ほど並んでいます。静かに始まり、途中で少し胸がざわつくように揺れて、また静かに戻っていく。その波の順番が、眠れない夜の気持ちの動きによく似ている気がします。
録音はたくさんあります。好きな弾き手を一人決めて、同じ一枚を何度も聴くのがいいと思います。音量はできるだけ小さく。雨の音くらいの大きさで、ちょうど沈んでいけました。
(めじろ)上の子が小さかったころ、寝る前に毎晩読んでとせがまれて、とうとう文を全部そらで言えるようになってしまった絵本です。
大きな緑の部屋で、ベッドに入った小さなうさぎが、部屋にあるものひとつひとつに、おやすみを言っていく。月に、くつしたに、くしに、ブラシに。ページをめくるごとに、部屋が少しずつ暗くなっていくんだなあ。
大人が眠れない夜に、自分に読んであげてもいいんです。部屋のものに、心の中でおやすみを言っていくと、ほつれていた一日の端っこが、ゆっくりとじられていくような気がします。
眠れない自分を、誰かに救ってほしい
眠れないことを責めずにいてくれる三つです。
(はるまき)会の記録を書いたのもはるまきなんですが、あれから何度か、眠れない夜に観直しちゃいました。
月に一度、どうにも気持ちが抑えられなくなる女性と、発作で電車にも乗れなくなった男性が、小さな町工場のような会社で同僚になる話です。恋の話にはならない。ただ、お互いのしんどさを知って、少しずつ助け合っていくんですよね。
会社が作っているのは、子ども向けの科学の道具で、後半、みんなで小さなプラネタリウムの準備をすることになる。夜空の話が、夜の暗さを怖いものじゃなくしてくれる。いや、ほんとに、眠れない夜にこそ観てほしい一本です。
(ぬか)眠れない夜に、あたたかいお茶漬けをすすりたくなる漫画、というものがあるのでしたら、わたくしはこれを挙げます。
夜の町を、一匹の猫が歩いて回ります。誰かの涙のにおいをかぎつけると、そっと近づいていって、話を聞く。仕事に疲れた人、ひとりで暮らすお年寄り、言えない悩みを抱えた子ども。猫は、大きなことはしません。ただ、しばらくそばに座っているのです。
一話はほんの数ページ。わたくしは眠れない夜に一話だけ読み、それから台所でお茶漬けを一杯こしらえて、ひとくち目の温かさで夜を締めくくることにしたのでありました。それだけで、夜が少しやわらかくなります。
ゲーム・2019年
『A Short Hike』
(ヤギ)羽ばたきのボタンを押して、崖から少しだけ滑空した。
鳥の女の子が、自然公園に住むおばさんのところで夏を過ごしている。待っている電話があるのに、電波が届かない。届くのは、島のいちばん高い山の頂上だけ。だから登る。それだけの話だ。
でも道の途中で、いろんな人に会う。釣りをしている人、なくし物を探している人、走り回っている子どもたち。寄り道ばかりしてるうちに、手が止まった。急がなくていいんだよな、と思った。
二、三時間で頂上に着ける。眠れない夜に一周して、朝にはもう一度、別の道を歩きたくなる。
寂しさに、そのまま浸りたい
寂しさを消さずに、夜と一緒に味わうための二つです。
映画・日本公開2004年
『ロスト・イン・トランスレーション』ソフィア・コッポラ監督
(ロク)時差ぼけの男と女が、東京のホテルで眠れずにいる。そこから始まる。
男は広告の撮影で来た、落ち目の俳優。女は、仕事で忙しい夫についてきた若い妻。二人とも、言葉の通じない街で、夜中にホテルのバーへ下りてくる。
画面の端に、いつもガラス越しの夜景が映っている。高層ビルの窓の明かり。近いのに、誰とも話せない街の骨組み。要するに、眠れない人間の目で見た東京だ。
最後に男が女の耳元で何かを言う。何を言ったのか、観客には聞こえない。聞こえないままでいい、と僕は思う。
(いちょう)課題が終わらなくて、夜中に作業用に流してたら、気づいたらアルバムが一周してました。
音楽をやめた青年が、ある人にあてて書いた手紙の束、という形のアルバムです。一曲ずつが、旅先から送った手紙みたいになってて、全部聴くと、なんとなく一つの話が見えてくる。
言葉が多いのに、寂しい。明るい曲でも、どこか遠い。夜中の電車の窓みたいな音だな、と思いました。同じ年に出た、対になっているアルバムもあります。眠れない夜が二日続いたら、そっちも。
考え込みたい夜に
どうせ眠れないなら、とことん考え込むための三つです。
テレビドラマ・2023年
『いちばんすきな花』生方美久脚本
(タカノツメ)第1話で、小生は膝を打った。二人組を作るのが苦手な人間の話だったのである。
子どものころから、なぜか二人組になれなかった四人の男女が、ひょんなことから、ある一軒の家に夜な夜な集まるようになる。話すのは、とりとめのないことばかりだ。けれど、その会話の一行一行が、あとからぴりっと効いてくる。
脚本が、人と人とのあいだの小さな違和感を、決して見逃さないのだ。眠れない夜に一話観ると、自分がこれまで誰と、どう並んできたのかを考えずにはいられない。考えすぎて、さらに眠れなくなる可能性はある。覚悟の上で。
(草餅)夜中の台所で、年の離れた二人が、向かいあって座っている。そのコマの、静けさ。
両親を事故で亡くした十五歳の女の子を、人づきあいの苦手な小説家の叔母が引き取る。二人は、分かりあえない。分かりあえないまま、同じ家で暮らしていく話なんだ。
叔母は、女の子の気持ちを分かったふりをしない。そのかわり、分からないことを分からないと言う。コマとコマのあいだに、言えないことが夜の色でたまっていく……。眠れない夜に一巻ずつ読んで、うちは何度も、自分の親のことを考えた。
(灯)午前一時すぎ。眠れないまま、この本を開きました。
高校の、年に一度の行事の話です。全校生徒が、夜を徹して長い道のりを歩き通します。主人公の女の子は、この行事のあいだに、ある同級生に話しかけると、ひそかに決めていました。
一晩じゅう歩く話なので、読んでいるこちらも、眠れない夜をいっしょに歩いている気がしてきます。歩きながら話すことで、昼間には言えなかったことが、少しずつこぼれていく。たぶん、夜にはそういう力があるのだと思います。
読み終えたころには、窓の外が少しだけ白んでいました。
泣いてから眠りたい
胸につかえたものを流してから、布団に戻るための一作です。
(凪)高校生になった主人公が、小学生のころにいじめていた耳の聞こえない女の子に、何年もたってから手話で話しかけにいく、再会の場面。自分はそこで、手の動き一つにこんなに息を止めて見入ることがあるのかと思うくらい、画面から目が離せなかったんです。
自分のしたことをずっと許せずにいる男の子と、自分のことをずっと責めている女の子が、少しずつ、ぎこちなく近づいていく。まわりの友だちもみんな、何かしら自分を責めている。だから観ていてつらい場面も多いんですが、最後のほうで、うつむいていた主人公がようやく顔を上げるところで、自分は喉がつまって、声が出なくなりました。
二時間を超えるので、眠れない夜のはじめのほうに。泣いたあとは、そのまま眠れる気がします。
いっそ眠るのをあきらめて、ぞくっとしたい
最後は、眠れないことを逆手にとる一作です。
(こはぜ)読み手の声が、夢の中で誰かに話しかけられたときのように、少しくぐもって聞こえたのです。
夢をそのまま書きとめたような、短い話がいくつも並んだ作品集です。土手の下の一膳飯屋、見知らぬ人に呼び止められる夜道、わけもなく怖い誰かの気配。話の筋ははっきりしないのに、読み終えると、なにか取り返しのつかないものに触れてしまったような心細さが残ります。
目で読んでも不思議な本ですが、夜中に耳で聴くと、夢と現のさかいめが、雨戸一枚ぶんほどに薄くなります。一編ずつが短いので、眠くなったらそこで止めて大丈夫です。ただ、そのまま見る夢の保証はできないのです。
この特集の使い方
(オト)
最後に、話し合いで出た小さな工夫を。
画面の明るさは、いちばん下まで落とす。
音は、雨の音くらいの大きさに。
目を閉じられるものから試す。
一つで眠れなかったら、束を変えてみる。
それでも眠れなかったら、それはそれで。
夜明け前の空の色を見られるのは、眠れなかった人だけだから。
場面「眠れない夜」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「静まりたい」「寂しさに浸りたい」「救われたい」からも、近い作品を探せます。









