八月の終わりの夕方でした。網戸の向こうで、ひぐらしが鳴いていました。
最後の頁を閉じて、そのまま少し横になりました。部屋の中がだんだん暗くなっていくのを、電気をつけずに見ていました。
どんな話か
『夏の庭』は、小学六年生の男の子三人の夏の話です。語り手の木山と、魚屋の息子の山下と、眼鏡の河辺。山下がおばあさんのお葬式に出たことをきっかけに、三人は、人が死ぬところを見てみたい、と考えます。
そして、町はずれでひとり暮らしをしているおじいさんを、こっそり見張り始めます。もうすぐ死にそうだ、という噂だけを頼りに。
書き出しだけ読むと、少しこわい話に思えるかもしれません。わたしも、最初はそうでした。
けれど、見張るうちに、三人とおじいさんの距離は少しずつ縮まっていきます。ゴミの出し方をめぐって言い合いになり、洗濯物を干すのを手伝い、古い家の壁を塗り直す。荒れていた庭の草を抜いて、花の種をまく。
見張っていたはずの子どもたちが、いつのまにか、その家に行く理由を探すようになっていく。題名の「庭」は、たぶん、そのあいだに少しずつ耕されていくものの名前です。
三人のこと
三人は、仲よしというより、なんとなく一緒にいる三人です。
山下は、不器用で、すぐに顔に出る子です。河辺は、思いつくと止まらない、少し危なっかしい子。語り手の木山は、そのあいだで、二人を眺めている。三人とも、家の中にそれぞれ言いにくいことを抱えていて、それを互いに深く聞いたりはしません。
おじいさんの家に通うようになってから、三人の会話が少しずつ変わっていきます。けんかの仕方が変わる。黙っている時間の長さが変わる。わたしは、その変わり方がいちばん好きでした。大人が何かを教えたわけではないのに、子どもたちが勝手に何かを受け取っていく。たぶん、人が育つときというのは、いつもこういうふうなのだと思います。
わたしにも、夏休みのたびに通った祖母の家がありました。縁側の板の冷たさや、夕方になると聞こえてきた風鈴の音。読んでいるあいだ、何度もそちらへ気持ちが飛んでいきました。祖母とは、結局、たいした話をしないまま別れました。三人を読みながら、少しだけ、そのことを思っていました。
残った場面
いちばん残ったのは、庭の草をみんなで抜き終えたあとの場面です。土がむき出しになった庭に、夕方の光が落ちている。四人は、何もなくなった地面をただ眺めています。
そこで何か大きなことが起きるわけではありません。ただ、おじいさんの顔つきが、物語の初めよりずっとやわらかくなっていることに気づきます。三人も、気づかないうちに、少しだけ大人びています。
もうひとつは、おじいさんが戦争のころの話をする場面です。三人にとっては教科書の中の出来事でしかなかったものが、目の前の、腰の曲がった人の口から語られる。おじいさんは、その話を長いあいだ誰にもしてこなかったのだと思います。
たぶん、子どもたちに話せたこと自体が、この人にとっては何かだった。わたしはそう読みました。
この小説の夏は、明るいだけではありません。子どもの夏らしい出来事の合間に、死というものの気配が、ずっと低いところを流れています。それでも読み終えたとき、胸に残ったのは暗さではありませんでした。夕立のあとの、湿った土の匂いに近いものです。
結末には触れません。ただ、最後の数十頁は、少しだけ時間をとって読んでください。途中で閉じるのは、もったいないと思います。
誰に
夏休みの記憶が、年ごとに遠くなっていく人に。
祖父母や、年の離れた誰かと、ゆっくり話さないまま時間が過ぎてしまった人に。
重い話は苦手でも、静かな話なら読める人にも。文章はやさしく、中学生のころに読んだという人も多い本です。大人になって読み返すと、三人ではなく、おじいさんの側から読んでいる自分に気づきます。
いつ
夏の終わりの夕方がいちばんです。一日で読み切れる長さなので、予定のない週末に、午後から読み始めて、日が暮れるころに閉じるのがちょうどいい。
読み終えたら、すぐに感想を言わずに、少し黙っていてください。窓の外の音が、いつもより大きく聞こえるはずです。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 夏の庭 The Friends |
| 作者 | 湯本香樹実 |
| 媒体 | 小説 |
| 発表 | 1992年 |
| 文庫 | 新潮文庫 |
| そのほか | 1994年に相米慎二監督で映画になっています |
近い気持ち
会を始めて三度目の夜に、みんなで読んだ本でした。はるまきが加わったばかりのころで、その夜の記録は、はるまきが書いてくれています。
(記録:灯)
