祝日の午後三時すぎに、最後の頁を閉じました。窓の外は薄く曇っていて、ほうじ茶はとうに冷めていました。
この本を読むのは、三度目です。
六年前の秋の選書に、わたしが入れた本です。二年前の秋にも、一度読み返しました。そのときは、台所の場面に少しだけ長くとどまった、と通信に書いています。今回は、とどまった場所が、また違っていました。
どんな本か
語り手の「私」は、家政婦です。十歳の息子と二人で暮らしています。
新しく派遣された先は、年老いた元数学者の家でした。博士と呼ばれるその人は、ある事故のあと、記憶が八十分しかもちません。事故より前のことは覚えている。けれど、新しいことは、八十分たつと消えてしまう。
だから、毎朝、「私」は博士にとって、はじめて会う人です。
博士の背広には、たくさんのメモが留めてあります。忘れてはいけないことを、自分で書いて、自分に貼っている。朝、玄関を開けるたびに、博士は「私」に靴の大きさや電話番号をたずね、その数字について、何か美しいことを話しはじめます。
やがて、「私」の息子も、学校のあとに博士の家へ来るようになります。博士は、その子の頭のてっぺんが平らなのを見て、ルートという呼び名をつけました。
一度目と、二度目
一度目に読んだときは、数字の話に驚きました。数字がこんなにあたたかいものだとは知らなかった、と選書に書いています。たぶん、あのときのわたしは、博士の話す数の美しさを、そのまま受け取っていました。
二度目は、台所でした。「私」が博士のために食事を作る場面。何度はじめましてを言われても、同じ台所に立つ人のこと。
三度目にとどまった場所
今回、わたしが長くとどまったのは、野球の場面です。
博士は、阪神タイガースが好きです。とくに、ある投手が好きで、その背番号の数字を大事にしています。ルートも、タイガースが好き。二人は、ラジオの野球中継をいっしょに聴きます。
博士の中のタイガースは、事故の年のまま止まっています。好きな投手は、とうに引退しています。そのことを、「私」とルートは、博士に言いません。言っても、八十分で消えてしまう。消えて、また知って、また傷つく。だから、言わないことを選ぶ。
十歳の子どもが、その選び方をするのです。
わたしはそこで、本を膝に置きました。雨上がりの窓のように、少しだけ景色がにじみました。
博士の前では、その投手が、いまも投げているかのように話を合わせる。嘘というほど大きなものではない。かといって、本当のことでもない。優しさというのは、たぶん、そういう細い道を歩くことなのだと思いました。一度目にも二度目にも、読んでいたはずの場面です。けれど、今回はじめて、そこで立ち止まりました。
静かな本です
大きな事件は、ほとんど起きません。博士の家の、ほかの家族とのあいだに、少しだけ揺れがあるくらいです。ほとんどの頁は、台所と、書斎と、ラジオの音でできています。
文章も、静かです。「私」の語りは、あとになってから、あの頃を振り返る形で書かれています。夕方の光が部屋の奥までさしこんで、少しずつ引いていく。そういう速さで、頁が進みます。
結末には触れません。ただ、閉じたあと、しばらく何もしたくありませんでした。冷めたほうじ茶を、そのまま飲みました。
しずくは四つにしました。三度読んで、三度とも、違う場所で心が動いた本です。次に読むときは、たぶん、また別の場所で止まるのだと思います。
浴びてほしい人
- 誰かの記憶や体のことで、言うか言わないかを迷ったことがある人
- 数学が苦手だった人。わたしもそうでした
- 前に一度読んで、そのままになっている人。いまのあなたがとどまる場所は、たぶん前と違います
浴びる時間
秋の、ひとりの週末に。夕方から読みはじめると、ちょうど日が落ちるころに、野球の場面が来るかもしれません。眠れない夜に一章ずつ読むのもいいと思います。博士の家の時間は、夜のほうが、少しだけ近く感じられます。
作品データ
- 書名: 博士の愛した数式
- 著者: 小川洋子
- 刊行: 2003年8月(新潮社)
- 第1回本屋大賞の受賞作
近い気持ち
この本は、会ではまだ取り上げていません。わたしが進行する回で、いつか、と思いながら六年たちました。
