ラルム / 作品の記録

2024.05.19媒体 漫画記録 草餅

片思いの置いていき方を、美大の片すみで知った 羽海野チカ『ハチミツとクローバー』

自転車のうしろ姿で、めくる手が止まった
『ハチミツとクローバー』の表紙
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コマの奥のほうへ、自転車のうしろ姿が小さくなっていく。こいでいる人の顔は描かれていない。背中と、まっすぐな道だけ。

うちはこのページで、しばらくめくる手を止めた。

『ハチミツとクローバー』は、美大の学生たちの漫画。全十巻。古いアパートと、大学のアトリエと、みんなで囲む鍋。建築科の竹本、その先輩の真山、何年も大学にいる彫刻科の森田。そこへ、小さくて、とんでもない絵を描く女の子、はぐみが入ってくる。竹本はひと目で恋をする。陶芸科の山田さんは、ずっと真山が好き。真山は、年上の理花さんが好き。

みんなが誰かを好きで、その誰かは、たいてい別の人を見ている。

はっきり終わらない恋

この漫画の恋は、きれいに振られて終わるものが少ない。言えないまま。言っても届かないまま。好きな気持ちだけが残って、少しずつ形を変えていく。

山田さんは、真山に気持ちを伝えている。それでも真山は、理花さんのところへ通うのをやめない。山田さんは真山を好きなまま、真山の恋を横から見ている。山田さんが、真山の背中におぶわれて帰る夜のコマがある。そのあたりのページは、うちには夕焼け色に見える。白黒なのに。

……好きな人の好きな人を知っているのに、好きでいるのをやめられない。うちは、その気持ちにだけは、読む前から名前があった気がする。

竹本くんの旅

竹本くんは、はぐへの気持ちをうまく言えない。はぐと森田さんのあいだに、自分の入れない何かがあることにも気づいてしまう。そのうち、自分が何を作りたいのかも分からなくなる。

そして、ある日、自転車で北へ走り出す。

冒頭のコマは、そこなんだ。恋から逃げたように見える。でも、旅の先で竹本くんは、古い建物を直す人たちと出会って、そこで手を動かしはじめる。毎日、同じ場所で同じ木に向かううちに、顔つきがちょっとずつ変わっていく。

うちは、あれは恋を置いていく場所を探す旅だったんだと思う。捨てるんじゃなくて、置いていく。好きだったことは本当のまま、そこから先へ行く。コマとコマのあいだで、竹本くんの背中が若葉みたいに伸びていくのが分かるんだ。

春に読み返した理由

この春から、うちは会社員になった。大学の最後の冬、卒業制作の合間に、この漫画を一巻から読み返した。しずく通信の春の号の選書に入れたのは、それが理由。

美大の話だけど、うちにとっては、何かを好きなまま、その場所を出ていく話なんだ。好きだった人も、好きだった部屋も、好きだった時間も、持っていけないものがある。持っていけないけど、なくなるわけでもない。最終巻の最後のほうで、うちはそれを、見開きひとつぶんの静けさで受け取った。何が描かれているかは、書かないでおく。

失恋した夜に

前半はにぎやかで、笑える場面がたくさんある。だから、恋が終わった夜に開くと、最初は少しまぶしいかもしれない。

でも、一巻から読んでほしい。にぎやかな前半があるから、後半の静けさが効く。笑っていた人たちが、ひとりずつ自分の気持ちの置き場所を探しはじめる。その順番を、自分の夜と重ねながら読むのがいいと思う。

誰に

  • 片思いを終わらせたいのに、終わらせ方が分からない人
  • 好きな人に、好きな人がいると知ってしまった人
  • 何かを好きなまま、新しい場所へ行く人

いつ

眠れない春の夜に、一巻ずつ。十巻あるから、十日かけてもいい。一気に読むと、竹本くんの自転車に追いつく前に、こっちが息切れしてしまう。

作品データ

項目 内容
作品名 ハチミツとクローバー
作者 羽海野チカ
連載 2000年〜2006年(宝島社「CUTiE Comic」で始まり、集英社「YOUNG YOU」、「コーラス」へ)
単行本 集英社クイーンズコミックス・全10巻
受賞 第27回講談社漫画賞 少女部門(2003年)

近い気持ち

会ではまだ取り上げていない。いつかまたうちが進行をする番が来たら、この十巻を出したいと思っている。そのときは、十日前に知らせる。

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