記憶を消す作業は、一晩で終わる。
男が眠っているあいだに、技師が二人、部屋に機械を運びこむ。朝までに、一人の女の記憶を頭から抜いていく。この映画の骨組みはそれだけだ。
先月の特集「失恋した夜に」で、僕はこの映画に短い段落しか使えなかった。残りをここに書く。観直したのは先週、夜勤明けの昼だ。日本での公開から二十一年たっている。
仕掛け
ジョエルは内気な男だ。別れた恋人のクレメンタインが、自分との記憶を消す手術を受けたと知る。請け負ったのはラクーナという小さな会社だ。腹を立てたジョエルは、同じ手術を自分にも頼む。
映画の大半は、その夜のジョエルの頭の中で進む。記憶は新しいものから順に消される。要するに、観る側は二人の恋を、終わりの側から逆にたどる。
最初に消えていくのは、けんかばかりの時期だ。消されても惜しくない記憶に見える。ジョエルも、たぶんそう思っている。
逃げる
さかのぼるうちに、楽しかった頃の記憶に行き着く。凍った川の上に、二人で寝ころんで空を見る夜がある。ここでジョエルは、消されたくないと思いはじめる。
だが手術は止まらない。眠っている体は起こせない。
そこで彼は、記憶の中のクレメンタインの手を引いて逃げる。彼女が出てくるはずのない場所へ。子どものころの台所のテーブルの下。人に見られたくない、恥ずかしい思い出の中。消去の機械の地図に載っていない部屋に、恋人を隠そうとする。
設計図にない部屋を、配線の外に作ろうとしているわけだ。僕はここがいちばん好きだ。無駄だと分かっている抵抗ほど、見ていて苦しいものはない。
画面の端
この映画は、崩れ方を画面の端で見せる。
本屋の棚の背表紙から、字が抜けていく。街灯が一本ずつ落ちる。通りすがりの人の顔から、目鼻がなくなる。クレメンタインの髪の色は、場面ごとに違う。それが、いまどの時期の記憶かを見分ける目印になっている。
僕がいちばん長く見ていたのは、海辺の家の記憶だ。二人が初めて会った場所。その家が、端から崩れ、砂に呑まれていく。崩れていく部屋の中で、二人は短い言葉を交わす。何を言うかは書かない。
消す側の人たち
脇の人物もきちんと効く。受付のメアリー、技師のスタンとパトリック、会社を率いる医師。消す仕事をしている人たちにも、それぞれ消したいものがあり、消されたものがある。ここは配線の奥の奥なので、これ以上は書かない。
題名は、十八世紀の英国の詩人、アレキサンダー・ポープの詩の一行から取られている。劇中で、その詩を口にする人物がいる。誰が口にするかも、あとから効いてくる。
特集に書いたことの続き
特集では、泣けるかどうかは人による、と書いた。考えは変わらない。僕は今回も泣かなかった。観終えて、台所で缶コーヒーを開けた。そのまま、しばらく飲まなかった。
別れてすぐにこの映画を観ると、消したい、と思っている自分に気づくかもしれない。映画は、消すなとは言わない。消しても、たぶんまた同じ場所へ戻っていく、と言う。それを救いと取るか、呪いと取るか。そこは観る夜の自分しだいだ。
誰に
- 別れた相手の連絡先を、消すかどうか迷っている人
- 相手との記憶が、日ごとに都合よく書き換わっていくのが怖い人
- 筋の入り組んだ映画が好きな人。一回目は迷子になっていい
いつ
眠れない夜。ジョエルが眠っている一晩と、同じ長さの夜を過ごすことになる。冬がいい。凍った川の場面が、部屋の寒さとつながる。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | エターナル・サンシャイン |
| 監督 | ミシェル・ゴンドリー |
| 脚本 | チャーリー・カウフマン |
| 原案 | ミシェル・ゴンドリー、チャーリー・カウフマン、ピエール・ビスマス |
| 出演 | ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルステン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド ほか |
| 製作 | 2004年(アメリカ) |
| 日本公開 | 2005年3月 |
| 上映時間 | 108分 |
| 受賞 | アカデミー賞 脚本賞(2004年度) |
近い気持ち
- 切なくなりたい……崩れていく海辺の家
- 考え込みたい……消したら楽になるのか
- やり直したくなりたい……最後の廊下の二人
