ラルム / 作品の記録

2023.07.23媒体 朗読/音声記録 こはぜ

障子の向こうから聞こえてくるような、十の夢 夏目漱石『夢十夜』を耳で読む

耳の奥がひやりとしました
『夢十夜』の表紙
Amazon で見る

一行目の声が、思っていたよりもずっと遠くから聞こえてきたのです。

目の前で読まれているはずなのに、障子を一枚へだてた隣の部屋から、誰かが寝言のように話しているように聞こえました。ぼくはそのとき、この作品は、耳で読むためにあるのではないか、と思いました。

十の、短い夢

『夢十夜』は、夏目漱石が新聞に連載した、十の短い夢の話です。

一つ一つは、とても短い。長くても、朗読で十数分ほどでしょうか。いくつかの夜は同じ書き出しで始まり、どの夜も筋の通らないまま、ふっと終わります。夢というのは、たいていそういうものですから。

けれど、その筋の通らなさが、声で聴くと、不思議な手ざわりになるのです。

第一夜のこと

最初の夜は、死にかけている女の人の枕もとに、語り手が座っている夢です。

女の人は、自分が死んだら墓のそばで待っていてほしい、また会いに来るから、と頼みます。語り手は、言われたとおりに墓の前に座って、日が昇り、沈むのを、ひとつ、またひとつと数えていく。

この夜は、耳で聴くと、柱時計の振り子のように聞こえました。日が昇る。沈む。昇る。沈む。読み手の声は変わらないのに、数えるたびに、待っている時間の長さだけが、少しずつ重くなっていく。いつまで待てばよいのか分からない寂しさが、耳の奥に、細い水のようにしみてきました。

最後に何が起きるのかは、書かずにおきます。ただ、あの夜の終わり方は、目で読んだときより、声で聴いたときのほうが、ずっと美しく感じました。

第三夜のこと

ぞくっとしたのは、三番目の夜です。

語り手は、夜の田んぼ道を、子どもを背負って歩いています。自分の子どものはずなのに、なぜか目が見えない。そして、その子は、見えないはずのものを、なぜか全部知っている。

歩くほどに、背中の子どもが重くなっていく。

ここで、声が変わる一瞬がありました。読み手が、子どもの言葉を読むところで、ほんの少しだけ声を落としたのです。その一瞬で、ぼくの背中にも、何かが乗ったような気がしました。雨戸を閉めた部屋で聴いていたのに、夜の田んぼの湿った空気が、首すじに触れたように思えたのです。

この夜の終わりには触れません。知らずに聴いたほうが、ずっと冷えます。

ほかの夜

ほかにも、昔の彫刻家が明治の世に現れて仁王を彫っている夢や、どこへ向かうのか分からない大きな船に乗っている夢など、不思議な夜が並んでいます。

寂しい夜、こわい夜、なんだか可笑しい夜。十の夜の順番に、決まった意味があるわけではないと思います。でも、通して聴くと、ひとりで長い夜を過ごしたあとのような、ぼんやりとした静けさが残りました。

耳で読むなら

眠れない夜が続いている人に。目を閉じたまま、誰かの夢の中を歩くのは、案外、よい休み方です。

古い文学は難しそう、と思っている人にも。一夜ずつが短いので、ひとつだけ聴いて、やめてもかまいません。

夏の、眠れない夜に。明かりを消して、一夜ずつ。

雨の夜もよいと思います。雨の音が、夢の向こうの世界の音のように聞こえてきます。

倍速で聴くのだけは、どうかやめてください。夢の速さで聴かないと、夢になりません。

作品データ

項目 内容
作品名 夢十夜
作者 夏目漱石
媒体 朗読/音声(原作は短い小説の連作)
発表 1908年(新聞連載)
長さ 十の夜。一夜ぶんは、朗読で長くても十数分ほど
聴き方 さまざまな読み手による朗読があります

近い気持ち

ぼくが一滴舎に加わって、二度目の会で聴いた作品です。朗読を聴く回に、入ってすぐ立ち会えたのは、うれしいことでした。その夜の記録も、ぼくが書いています。

(記録:こはぜ)

作品の記録に戻る