(灯)夜の九時すぎです。部屋の暖房を入れるかどうか、少し迷ってから、これを書き始めました。
この特集は、ほかの特集よりもゆっくり作りました。候補を出してもらうときに、無理に出さなくていい、と最初に伝えました。それでも十一人全員から、一つか二つずつ、ていねいな理由を添えた作品が届きました。
決めたことは三つです。
ひとつは、急がないこと。何も手につかない時期は、何も浴びなくてかまいません。この特集は、少し落ち着いてから開くためのものです。
ふたつめは、途中でやめていいこと。つらくなったら、止めてください。作品は待っていてくれます。
みっつめは、悲しみ方に正解を置かないこと。すぐに泣ける人も、しばらく何も感じられない人もいます。だから、下の束は「いまの自分がどこにいるか」で分けました。順番に読む必要はありません。
悲しみが長く続いてつらいときは、作品だけで抱えようとせず、身近な人や、専門の相談の窓口にも頼ってください。わたしたちも、そうしてきました。
まだ言葉にならないうちは、短いものを
長い物語を追う力が戻っていないときの、十数分から一時間ほどの三つです。
アニメ・2008年
『つみきのいえ』加藤久仁生監督
(凪)海の水がどんどん上がってくる町で、ひとりのおじいさんが、家の上に新しい階を積み足しながら暮らしているんです。窓の外は一面の水で、下の階はもう全部沈んでいて、それでも朝ごはんを作って、ひとりで食卓につくんです。
ある日、おじいさんは大事なパイプを下の階へ落としてしまって、潜水服を着て、それを拾いに水の中へ降りていきます。一階下りるごとに、その部屋で過ごした昔の時間が、ふっと戻ってくる。台詞はひとつもなくて、十二分ほどしかないのに、最後の部屋にたどりつくころには、自分は胸の奥を誰かにそっと押されているような感じで、息がうまく吸えませんでした。
泣かせにくる作品ではないです。静かに、覚えていることを一つずつ確かめていく作品なので、まだ泣けない時期にこそ、合うかもしれません。
(栞)朗読が終わってから、しばらく私は、窓の外の音を聴いていました。この詩の中では、外に雪が降っています。
病で亡くなろうとしている妹が、兄に、外の雪を取ってきてほしいと頼む。兄は陶器の椀を持って、みぞれの降る外へ飛び出していく。書かれているのは、その短い朝の出来事だけです。
賢治の妹が亡くなったのは、ちょうど百年前の、この月の終わりでした。そのことを知ってから聴くと、読み手の声の、少しだけ息を詰めるところが、ずっと耳に残りました。朗読なら数分で終わります。数分でも、残るものは大きい気がします。
(オト)
信号が、黄色の点滅に変わる時刻。
まだ暗い帰り道で、アルバムを頭から。
歌っている人が、母親を亡くしたあとに作った一枚。
幼いころに自分のもとを離れていった母親で、
題名には、その母親と、継父の名前が並んでいる。
ほとんどが、ギターと、ささやくような声だけ。
二曲目から、声がさらに小さくなっていく。
怒っているのか、許しているのか、最後まで分からない。
その分からなさが、そのままにしてある。
言葉の意味を追わなくていい。
音が鳴っているあいだだけ、息ができる。
そういう夜のための、四十分あまり。
泣けるときに、泣いておきたい
泣けそうだと感じたら、その波を逃さないための二つです。
(はるまき)上の子がまだ小さいころ、家族で観ました。はるまきだけ、途中から鼻をかむ音がうるさくて、子どもに笑われちゃいました。
音楽を禁じられた家に生まれた男の子が、年に一度の死者の日に、亡くなった家族たちの暮らす世界へ迷いこんでしまう話です。向こうの世界はびっくりするくらい明るくて、にぎやかで、色とりどり。そこでは、生きている人に思い出してもらえなくなった人が、少しずつ消えていってしまう、という決まりがあるんですよね。
いや、ほんとに、終盤のひいおばあちゃんの部屋の場面は、何度観てもだめです。思い出すこと、覚えていることが、それだけでちゃんと誰かのためになる。観終わったあと、しまいこんでいた写真を出してきて、台所のテーブルに並べちゃいました。
映画・2008年
『おくりびと』滝田洋二郎監督
(ロク)納棺の場面は、全部あわせても三十分に満たないと思う。それでも、この映画はその手つきでできている。
楽団が解散して、チェロ奏者の男が故郷の町へ戻る。旅行の仕事のように読める求人を見て訪ねると、そこは亡くなった人を棺に納める仕事の事務所だった。
画面の端まで、手の動きが見える撮り方をしている。布の下で体を拭き、着物を着せ、顔を整える。段取りに無駄がない。歯車がきちんと噛み合うような手つきだ。要するに、見送る側の仕事を、儀式としてではなく技術として見せている。
だから泣かされるというより、背筋が伸びる。泣くのは、最後の、ある小さな石の場面だった。
泣けない自分を、責めたくないときに
悲しいはずなのに涙が出ない。その戸惑いを、そのまま描いた二つです。
(鹿の子)妻を事故で亡くした男は、なぜ一度も泣けなかったのか。
主人公は、それなりに名の知れた小説家である。妻が旅先でバスの事故に遭ったとき、彼は妻に言えないことをしていた。葬儀の場でも、取材の場でも、彼は悲しむ夫を上手に演じてしまう。筆者は最初、この男を好きになれなかったと思う。
ところで、この物語の廊下はもう一本ある。同じ事故で妻を亡くした別の男と、その幼い子どもたちだ。主人公は、成り行きでその子たちの世話を手伝うようになる。他人の家の台所に立ち、送り迎えをするうちに、彼の中の見取り図が少しずつ書き換わっていく。
ひとつ確かなのは、泣けないことは、悲しんでいないことと同じではない、ということだろう。そう思えるまでの長い遠回りを、この小説はきちんと歩いてくれる。
(草餅)ラーメン屋のテレビで、ニュースが流れている。その一コマで、主人公は親友の死を知る。
会社員のシイノは、子どものころからそばにいたマリコの遺骨を、マリコにひどいことをしてきた父親の家から奪って、そのまま海へ向かう。怒っていて、泣いていて、ずっと口が悪い。悲しみ方としては、たぶんかなり乱暴なんだ。
でも、うちはこの乱暴さに救われた。きれいに悲しめなくてもいいし、怒っていてもいい。コマとコマのあいだで、シイノが言えなかったことが、夕焼け色ににじんでいた。
つらい過去の描写がある。一冊で終わるので、読める日に一気にどうぞ。
もう一度、会いたいと思ってしまうときに
会えないと分かっていても、会いたい気持ちは止められない。その気持ちに寄り添う二つです。
小説・2010年
湯本香樹実『岸辺の旅』
(灯)夜が明ける少し前に、読み終えました。台所のやかんは、とうに冷めていました。
三年前に姿を消した夫が、ある晩、ふいに家へ帰ってきます。夫は、自分がもうこの世の人ではないことを、あっさりと妻に告げます。そして二人は、夫がこの三年のあいだに世話になった人たちを訪ねて、長い旅に出ます。
驚くほど静かな本です。死んだ人が帰ってくるのに、誰も大きな声を出しません。夕方の光のような文が、ずっと続きます。
たぶん、会いたいという気持ちは、叶わなくても消さなくていいのだと思います。読み終えたとき、少しだけ、そう思えました。
ゲーム・2020年
『Spiritfarer』Thunder Lotus Games
(ヤギ)抱きしめるボタンを押すのに、少し時間がかかった。
このゲームでは、死者の魂を船に乗せて、あの世への入り口まで送り届ける役をやる。魂たちはそれぞれに頼みごとをしてくる。好物を作ってほしい、行きたい場所がある、話を聞いてほしい。船に畑を作り、台所を建て、釣りをして、頼みを一つずつ叶えていく。
仲良くなった魂とは、いつでも抱き合える。専用のボタンがあるんだ。
そして頼みが全部叶ったら、送り出す日が来る。ここで一回コントローラーを置いた。送り出すのは自分の手で、その船の舵も自分で握ってる。
長いゲームだ。一人ずつ、ゆっくり見送る時間がある。会いたい人の顔を思い浮かべながら、坂道をゆっくり下りていくみたいに遊んでほしい。
残された毎日を、少しずつ続けるために
悲しみは消えなくても、明日の朝ごはんはやってくる。その毎日を支えてくれる二つです。
(ぬか)この小説を読んだ夜、わたくしは台所の冷蔵庫の前にしゃがみこんで、そのうなる音をしばらく聞いていたのでありました。
たったひとりの家族だった祖母を亡くした主人公は、どこにいても眠れず、台所の冷蔵庫のそばでだけ眠れるようになります。そこへ、祖母と縁のあった青年と、その母親が現れて、しばらく一緒に暮らさないかと声をかけてくれる。台所の広い、少し変わった家での、仮住まいのような毎日が始まります。
わたくしがいちばん好きなのは、後半に収められた話の、真夜中にかつ丼を届けに行く場面です。悲しみのまっただなかにいる人に、何を言えばいいか分からないとき、温かいものを持っていくことはできる。ひとくち目の湯気が、言葉の代わりになるのです。
(めじろ)読み聞かせのとき、子どもに「これ、かなしい本?」と聞かれて、あたしは少し考えてから、首を横にふりました。
おじいちゃんが亡くなったあと、男の子が一冊のノートを見つけます。そこには、おじいちゃんが自分が死んだあとのことを考えて描いた、天国の様子や、なりたいものや、どんなお墓がいいかが、楽しそうにぎっしり描いてある。男の子はそれを読んで笑って、でも、そのうちに少し考えこむんだなあ。
最後に男の子が思いつくことが、あたしにはやさしい毛布のように感じられました。亡くなった人のことを考えることが、いつのまにか、自分がこれからどう過ごすかにつながっていく。ページをめくる手が、最後のほうで止まりました。
この特集の使い方
(灯)最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
選んだ十一人で話していて、ひとつ分かったことがあります。同じ喪失でも、そのときどきで、必要な作品が違うということです。ある人には、しばらくは音楽しか受けつけなかった時期がありました。ある人は、何か月もたってから、ようやく物語を読めるようになったそうです。
ですから、この特集は、一度で使いきらないでください。いまは一つも開けなくても、何か月か先に思い出してもらえたら、それで十分です。
場面「大切な人を亡くしたとき」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「救われたい」「誰かに会いたくなりたい」からも、近い作品を探せます。
窓の外が少し冷えてきました。今夜は、暖房を入れることにします。







