零時を少し回ったころに、最後の頁を閉じました。台所の換気扇だけがまだ回っていて、その音がやけに大きく聞こえました。
すぐには感想が出てきませんでした。いつもそうですが、この本は特に。
朝井リョウさんの長編です。何人かの人物の話が、交互に進んでいきます。
不登校になった息子を持つ、検事の父親。地元の商業施設で働きながら、誰とも深く関わらずに暮らす女性。大学で、多様性をテーマにした催しを準備する学生。ダンスに打ちこむ、無口な青年。
検事の父親は、正しいことを信じている人です。息子が学校に行かなくなり、動画を撮って世の中に出したいと言いだしたとき、父親はそれを、道を外れることだと考えます。親として、たぶん、まっとうな心配です。けれど、息子の側から見ると、その心配は、自分の「好き」を最初から認めない壁に見える。
商業施設で働く女性は、中学のころから、ある秘密を抱えています。誰にも話さない。話したところで、分かってもらえるとは思っていない。休みの日には、ほとんど誰にも会わず、決まった道を歩いて、決まった部屋に帰る。その暮らしの描き方が、わたしには他人事に思えませんでした。雨上がりの、濡れたままのアスファルトのような静けさでした。
一見、何のつながりもない人たちです。けれど、彼らの何人かは、誰にも打ち明けられない、ある「好き」を抱えています。世の中で「いろいろな人がいていい」と言われるとき、その「いろいろ」の中に、自分は最初から入っていない。そう感じながら生きている人たちです。
わたしは、自分のことを、わりと人を分かろうとするほうだと思っていました。たぶん、そう思っていたかったのです。
この本は、その思いを、静かに揺さぶってきます。分かろうとする側の人物が、何度も出てきます。善意の人です。まっすぐな人です。けれど、その善意が、分かってもらえない側から見るとどう映るのか。頁をめくるごとに、わたしは自分の立っている場所が、少しずつ傾いていくのを感じました。
途中で何度か、本を伏せました。夕方の光がすっと引いていくときの、あの急な暗さに似た気持ちでした。
特に長く止まったのは、誰にも言えないものを抱えた二人が、ほんの少しだけ、互いのことを知る場面です。何かが解決するわけではありません。ただ、ひとりではなかった、と気づく。その気づき方が、あまりにも控えめで、わたしは読みながら息を浅くしていました。
書き手の文は、ときどき、ひどく鋭くなります。人物たちが胸の中で考えていることが、そのまま、ためらいなく書かれる。読んでいて、少しだけ痛い。けれど、その痛さを避けていたら、この本を読んだことにはならないのだと思います。
結末には触れません。ただ、読み終えても、答えのようなものは手に入りません。手に入るのは、たぶん、問いのほうです。
しずくは二つにしました。
少ない、と思われるかもしれません。心が動かなかったわけではありません。大きく揺れる前に、黙ってしまったのです。涙が出るような動き方ではなく、足もとの床がほんの少しだけ沈むような動き方でした。その小ささを、そのまま記録しておきます。
浴びてほしい人
- 「多様性」という言葉を、よく口にする人。わたしも含めて
- 人に言えないものを、ひとつ抱えている人
- 読み終えたあと、すぐに誰かと話さなくていい人
浴びる時間
眠れない夜に読むと、たぶん、もっと眠れなくなります。それでもよければ。わたしは、ひとりの週末の、予定のない土曜日をすすめます。読み終えたら、日曜の朝まで何もしなくていいように。
作品データ
- 書名: 正欲
- 著者: 朝井リョウ
- 刊行: 2021年3月(新潮社)
- 種類: 長編小説(2023年に映画にもなっています)
近い気持ち: 考え込みたい/ひとりを味わいたい/寂しさに浸りたい
五月の感情浴会(第61回)で取り上げました。わたしが進行をして、記録はオトがまとめてくれています。あの夜は、いつもより沈黙の長い会でした。誰かが話しはじめるまで、少しだけ待つ。その待つ時間も、会の一部だったように思います。
