(凪)夕方の六時を過ぎてもまだ空が明るくて、ベランダで冷めたカップ麺をすすりながら、今年はなんの夏の特集にしようか、とみんなに投げたのが先月の終わりでした。そこから三日で四十近い候補が集まって、夏という季節は、それだけで人に話したいことを山ほど持たせるんだなと、改めて思いました。
十人で話して決めた束は、四つです。子どものころのどこかの夏を思い出したい夜、全力で何かに向かう姿を見て体温を上げたい日、寝苦しい夜に少しだけ怖い思いをしたいとき、そして暑くて何もする気が起きない午後に、せめて気持ちだけでも遠くへ行きたいとき。今年加わったこはぜが、夏といえば怪談ですと言って、すぐに一作を出してくれたのも心強かったです。
最後に、夏の一日のどの時間に浴びるといいかの目安もつけました。
子どものころの、どこかの夏を思い出したい
自分が本当にそういう夏を過ごしたかどうかは、関係ありません。懐かしさは、借りてもいいものだと思います。
(ヤギ)スティックを倒して、縁側から庭へ下りた。蝉の声がうるさかった。
昭和のある年の八月、小学生の男の子が、田舎の親戚の家でひと夏を過ごす。それだけのゲームだ。虫を捕る。川で泳ぐ。絵日記を書いて寝る。一日が終わると、次の日が来る。八月の最後の日まで、それが続く。
敵はいない。目的らしい目的もない。なのに、夕方になると帰らなきゃいけない気がして、手が止まった。
俺はこういう夏を過ごしたことがない。それでも懐かしかった。坂の上から見下ろす田んぼと、遠くの山。八月三十一日の夜は、しばらく何も押せなかった。
(灯)網戸の外で虫が鳴きはじめたころに、読み終えました。
弟がはしかにかかったため、夏休みのあいだ、少年はおばさんの家に預けられます。庭もない、狭い部屋で退屈していた夜、古い大時計が、ありえない数の時を打ちます。裏口の扉を開けると、昼間にはなかったはずの広い庭が広がっていました。
庭で出会う女の子との時間は、たぶん、夏休みそのものです。いつか終わると分かっているから、まぶしい。
児童書の棚にある本ですが、大人になってから読むほうが、最後の場面は深く響くと思います。夏の夜に、少しずつ読んでください。
(栞)最後の音が消えたあと、窓の外の遠くで、誰かの打ち上げ花火の音が一つだけ鳴りました。偶然でした。
夏の終わりの、少し涼しくなった夕方に似合う曲です。大きく盛り上がるわけではなく、同じところを行ったり来たりしながら、胸の奥の、言葉にならない場所をそっと押してくる。何年か前の夏の夜を思い出して、そのとき会えなかった誰かのことを考えてしまう、そんな曲だと私は受け取っています。
歌詞については、ここでは書かないでおきます。ただ、聴き終えたあと、ある夏の夕暮れの空の色だけが、にじむように残りました。この曲は、夏が終わりかけたころに聴くのがいちばん効く気がします。
全力で向かう姿を見て、体温を上げたい
暑さに負けそうな日に、画面の中の誰かの熱をもらうための二つです。
(はるまき)夏休みの昼下がり、子どもとそうめんをすすったあとに観ました。
廃部寸前の男子水泳部に、なぜかシンクロナイズドスイミングをやることになった男子高校生たちの話です。最初はみんなやる気ゼロ。顧問の先生もいなくなっちゃう。それでも、文化祭で発表するって決めてから、少しずつ本気になっていくんですよね。
いや、ほんとに、ばかばかしくて、まぶしいです。練習の場面なんて、ほとんどコントです。でも最後のプールの場面で、はるまきはなぜか泣いちゃいました。たぶん、あの夏の暑さと、全力のばかばかしさが、同じ温度だったからだと思います。
(凪)夏休み前の放課後、主人公が坂道を自転車で全力で駆け下りていく。あそこで、ブレーキがきかないと分かった瞬間の、世界がすうっと遠のいていく感じ、何回観ても背中がぞわっとするんです。
ひょんなことから時間を跳び越える力を手に入れた高校二年生の女の子が、その力を、プリンを食べ損ねたとか、カラオケの時間を延ばしたいとか、本当にどうでもいいことに使いまくる。それがとにかく楽しい夏の話なんですが、後半、自分のしたことがまわりに少しずつずれを生んでいたと分かってから、彼女は全力で走り出します。
ここ、本当に、走る場面がいいんです。ただ走っているだけなのに、最後の一周を走る選手を見ているみたいに、こっちまで息が上がる。夏の空の、入道雲の白さも込みで、夏に観るための作品だと思っています。
寝苦しい夜に、少しだけ怖い思いをしたい
熱帯夜には、背すじの冷える話がよく似合います。明かりを消しすぎずに、どうぞ。
(こはぜ)最初の一行の声が、思っていたよりずっと落ち着いていて、だからこそ怖かったのです。
旅の僧が、若いころに飛騨の山越えで出会った不思議な出来事を、夜更けに語って聞かせる、という形の物語です。道を外れた山の中、じっとりと暑い林には蛇が横たわり、木の上からは山蛭が降ってくる。ようやくたどりついた一軒家には、美しい女がひとりで暮らしていました。
古い言葉なので目で追うと少し骨が折れますが、耳で聴くと、語り手の声が変わる一瞬ごとに、湿った夏の山の空気が縁側から部屋へ入ってくるようでした。暑い夜に、窓を開けたまま聴くのがいいと思います。朗読は読み手によって、一時間ほどのものから二時間を超えるものまであります。
(草餅)島の港に、主人公が降り立つ見開き。夏の空が、まぶしすぎる。
幼なじみの葬儀のために、主人公はふるさとの小さな島へ帰ってくる。溺れて亡くなったと聞かされていたのに、その体には不自然な跡があったという。島では、人の姿をそっくり写しとる影のような何かが、ひそかに人を入れ替えていた。
怖い。でも、ただ怖いだけじゃなかった。何度も同じ夏をやり直すことになる主人公の、あきらめない感じが、読んでいるうちに夕焼け色の熱になっていく……。
十三巻あるので、一晩では終わらない。夏の夜を何日か使って、ゆっくりどうぞ。
(ロク)二時間半近いあいだ、夜はほとんど来ない。舞台は夏至の村だ。
家族を失った女性が、恋人とその友人たちに連れられて、スウェーデンの山奥の村の夏至の祭りに加わる。白夜で、夜になっても日が沈まない。花は咲き乱れ、人々は白い服を着て、よく笑う。
暗闇がないのに、怖い。要するに、逃げこめる影がどこにもない。画面の端に、いつも誰かが立っていて、こちらを見ている。村全体が、一つの大きな装置のように動いている。
描写は相当にきつい。観るなら覚悟を。ただ、観終えた夜、部屋の暗さにほっとしたのは初めてだった。
暑くて何もできない午後に、遠くへ行きたい
体は動かなくても、気持ちだけは旅に出られます。
(オト)
夜勤明け、そのまま眠れなかった昼。
扇風機の首が、左右に振れている。
夏休みに、母親をたずねて旅に出る少年と、なりゆきでついていく大人の映画。
その音楽だけを、アルバムで。
ピアノが、少し跳ねるように鳴る。
一曲目から、もう夏休みの道の上にいる。
田んぼのあいだの一本道と、バス停。
映画を観ていなくても大丈夫。
目を閉じると、知らない夏の、知らない道が見える。
(ぬか)ベーコンというものを、わたくしはこの漫画を読むまで、少し軽く見ておりました。
都会の進学校での競争に疲れた少年が、北海道の農業高校に進み、寮で暮らしながら、牛や豚や畑の世話に明け暮れるお話です。夏休みには、同級生の家の牧場で住み込みの手伝いをすることになり、朝から晩まで汗まみれで働きます。
わたくしが忘れられないのは、少年が実習で世話をした子豚を、最後まで自分で見届け、その肉を自分の手でベーコンにする場面です。食べものが命からできていることを、説教ではなく、ひとくち目の重さで伝えてくれる。読み終えた晩、わたくしはスーパーでいちばん厚いベーコンを買ってきたのでありました。広い空と牧草地の中で、白いごはんが欲しくなる一作です。
夏の一日の、浴び方の目安
(凪)最後に、話し合いの中で出た「夏の一日のどの時間に浴びるか」をまとめておきます。
| 時間 | 合いそうな作品 |
|---|---|
| 朝、まだ涼しいうちに | 『ぼくのなつやすみ』『銀の匙 Silver Spoon』 |
| 暑さのいちばんきつい昼過ぎ | 『菊次郎の夏』サウンドトラック、『ウォーターボーイズ』 |
| 夕方、空が赤くなるころ | 『時をかける少女』「若者のすべて」 |
| 寝苦しい夜 | 『高野聖』『サマータイムレンダ』『トムは真夜中の庭で』 |
| 覚悟のある休日の昼 | 『ミッドサマー』 |
夏は、同じ作品でも浴びる時間でまるで違う顔を見せるので、自分はそこが、この季節の感情浴のいちばんの面白さだと思っています。場面「夏」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「懐かしみたい」「熱くなりたい」からも、近い作品を探せます。









