ぼくが頭の中で鳴らしていた城塚翡翠の声は、少し高くて、少し震えていて、語尾がいつも消え入りそうだったのです。
目で読む小説でも、ぼくは登場人物の声を、勝手に決めて聴いてしまいます。朗読ばかり聴いているせいかもしれません。この本では、その「勝手に決めた声」が、最後にまるごと聴きなおしになりました。
どんな本か
語り手は、香月史郎という推理作家です。人から相談を持ちかけられやすい性分で、警察の知り合いに頼まれて、事件の話を聞くこともある。
その香月が、ある日、城塚翡翠という若い女性に出会います。翡翠は霊媒です。死者の言葉を受け取ったり、その場に残った気配を感じとったりする。本人は、その力をあまり好いていないようにも見えます。
二人は、いくつかの事件に関わっていきます。翡翠には、誰が犯人なのかが分かってしまう。けれど、霊媒の言葉は証拠になりません。そこで香月が、翡翠の見たものを手がかりに、誰にでも筋の通る理屈を、あとから組み立てていくのです。
答えが先にあって、道すじをあとで引く。ふつうの推理小説とは、進む向きが逆になっています。
柱時計の振り子のような章立て
本は、ひとつずつの事件の章と、そのあいだに挟まる短い章でできています。
短い章には、別の誰かが出てきます。証拠を残さずに人をあやめていく、連続殺人の犯人です。誰なのかは分かりません。その人物の静かな文が、事件の章のあいだに、ときどき差しこまれる。
ここが、ぞくっとしました。
雨戸を閉めた夜の部屋で読んでいると、事件の章で少しほっとしたところへ、短い章がやってきます。柱時計の振り子が、こちら側に戻ってくるたびに、少しずつ大きく振れていくような心地がしました。翡翠と香月の二人のやりとりが、ときに微笑ましいぶん、その戻り方がよけいに冷たいのです。
声が変わる一瞬
最後の章のことは、書きません。
ただ、ひとつだけ。ぼくはその章を読みながら、それまで頭の中で鳴らしていた何人もの声を、一度、全部止めなければなりませんでした。止めて、もう一度、最初から鳴らしなおす。同じ文なのに、声の高さも、間の取り方も、まるで違って聴こえてくるのです。
驚いた、というのとは少し違うかもしれません。驚いたあとに、すぐ、自分がどこで聴き違えていたのかを考えはじめていました。読み飛ばしたはずのない文を、確かに読んでいた。読んでいたのに、別の声で聴いていた。
読み終えたのは、夜中の二時をまわった頃です。眠るつもりでいたのに、気づけば最初の頁を開いていました。古い家の廊下を、灯りをつけてもう一度歩きなおすような読み方でした。
考えこんでしまったこと
もうひとつ、あとから長く残ったことがあります。
この本は、「分かってしまう人」と「分からないことを、理屈で埋める人」の話でもあるのだと思います。翡翠の言うことを、香月は信じる。信じたうえで、信じない人にも届く言葉に置きなおす。その手つきは、ぼくには、朗読の読み手が、書かれた文を聴く人のために声へ置きなおす手つきと、どこか似て見えました。
置きなおしたものは、元のものと同じなのか。それとも、置きなおした人の何かが混ざるのか。最後の章を読んだあとでは、この問いが、少し違う重さで戻ってきます。
浴びてほしい人
- 推理小説で、犯人当てより「どこで騙されていたか」を考えるのが好きな人
- 登場人物の声を、頭の中で勝手に鳴らしながら読む人
- 秋の長い夜を、一冊で使いきりたい人
浴びる時間
秋の夜長に。眠れない夜にもいいのですが、最後の章は、翌朝に予定のない夜に読んでください。読み終えたら、すぐに眠れなくなるかもしれません。ぼくは二周目の最初の章まで、手が止まりませんでした。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | medium 霊媒探偵城塚翡翠 |
| 作者 | 相沢沙呼 |
| 刊行 | 2019年9月(講談社。文庫は2021年9月) |
| 読んだもの | 単行本 |
この本は、会では取り上げていません。前に灯さんが、読み終えたあとすぐには感想を言わずに少し黙る、と話していたのを思い出して、ぼくも一晩だけ黙ってから、これを書きました。
