見開きのまんなかで、小さな女の子が氷の上をすべっていく。まわりには誰もいない。リンクの白と、その子の髪の色だけ。
うちは、そのページを開いたまま、しばらく動けなかった。
『メダリスト』は、フィギュアスケートの漫画。主人公の結束いのりは小学五年生で、スケートをやりたくてたまらないのに、家族にはなかなか許してもらえない。フィギュアの世界では、十一歳で始めるのはもう遅い、と言われている。それでも、いのりはひとりでこっそりリンクに通っている。
そこで出会うのが、明浦路司。自分もスケートを始めるのが遅くて、選手として思うところまで行けなかった人。司は、いのりのすべりを見て、この子のコーチになりたいと思う。
心が動いたところ
いのりは、最初、自分に自信がぜんぜんない。勉強も苦手、何をやっても続かない、と自分で思いこんでいる。
でも、氷の上だと、顔が変わる。
ページをめくるたびに、いのりの顔がちょっとずつ強くなっていくのが分かるんだ。コマとコマのあいだで、何回も転んで、何回も立ち上がっている。描かれていない転んだ回数まで、ちゃんと見える気がする。
うちがいちばん泣いたのは、いのりが初めての検定に挑む場面。結果は書かない。ただ、すべり出す前、いのりが司のほうを見る一コマがあって、それが、桜色の夕焼けみたいな色に見えた。……こわいのに、うれしい。その両方がいっぺんに顔に出ている。
それから、司のこと。大人が子どもの夢に、本気で自分の全部を賭ける話でもあるんだ。司は、自分がかなえられなかったことを、いのりに押しつけない。いのりが行きたい場所に、いのりを連れていこうとする。その違いが、読んでいてとても大きく感じた。
後半には、同い年の、とんでもなくうまい子も出てくる。いのりは、その子を追いかけることになる。ここから先は、読んで、としか言えない。
うちが好きなのは、ふたりの関係が、先生と生徒というより、同じ方向を見ている仲間みたいに描かれているところ。司は大人なのに、いのりの前でよく泣く。よく笑う。いのりの小さな成功に、本人より先に大声で喜ぶ。そういう大人がそばにいることの心強さを、うちは読みながら、ちょっとうらやましく思っていた。
熱くなるのは、試合の場面だけじゃない
スポーツの漫画だから、試合の場面はもちろん熱い。ジャンプの一瞬が、見開きいっぱいに描かれて、本の中から風が吹いてくるみたいになる。
でも、うちが背中を押されたのは、練習の場面のほうだった。朝早いリンク。つめたい空気。できなかったことが、ある日できるようになる。その瞬間は、誰も拍手をしない。司だけが見ている。それで十分なんだ、と思えた。
それから、絵のこと。すべっている最中の手足の線が、ページの上で本当に流れていく。止まっている絵なのに、次のコマで体がどこにあるか、分かる気がする。……うちは読みながら、何度か自分の指で、そのすべる線をなぞっていた。
誰に
- 何かを始めたいのに、年齢を理由にあきらめかけている人
- 誰かの夢を、そばで支えている人
- 試験や本番の前で、足がすくんでいる人
いつ
試験の前の週に。うちは去年の春、会社に入る前の落ち着かない時期に読み返した。一巻ずつ、夜に読むのがいい。朝になると、少し早く家を出たくなる。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | メダリスト |
| 作者 | つるまいかだ |
| 連載 | 講談社「月刊アフタヌーン」(2020年から) |
| アニメ | 2025年1月からテレビアニメが放送 |
近い気持ち
四月の感情浴会(第60回)で、うちが進行をした回の作品。記録は凪さんが書いてくれた。凪さんが、アニメから入った人と漫画から入った人の話の違いをまとめてくれていて、読み返すとまた泣きそうになる。
