豚肉の炒めものに、ごはんと、豚汁。頼んだあとで、豚が重なってしまったことに気づく。第一話の主人公がそれをやったとき、わたくしは声を出して笑い、それから、自分にも覚えがあることを思い出して、少し赤くなりました。
久住昌之さん原作、谷口ジローさん作画の『孤独のグルメ』は、個人で輸入雑貨の仕事をしている井之頭五郎という男性が、仕事の合間に、ひとりで食事をする漫画です。ほぼ、それだけです。
誰とも話さない食卓
五郎さんは、店の人とも、ほかのお客とも、ほとんど話しません。暖簾をくぐり、壁の品書きを眺め、注文し、食べ、勘定をして、出ていく。その間、口から出る言葉はほんのわずかです。
ところが、頭の中は大にぎわいです。この店は当たりか外れか、あれを頼むならこれも欲しい、いや、それでは多すぎる。ひとくち目を口に運ぶ前から、ずっと自分と相談している。その独り言の生真面目さが、どうにも可笑しい。わたくしはこの漫画を、料理の漫画である前に、ひとりで迷う人の漫画だと思っております。
谷口ジローさんの絵は、とても丁寧です。お店の椅子の並び、湯呑みの形、窓の外を通る人。料理の湯気よりも先に、その店の空気が伝わってきます。だから、知らない町の知らない店なのに、読んでいるうちに自分もカウンターの端に座っている気がしてくる。
飲めない人の昼ごはん
五郎さんは、お酒を飲みません。
これを知ったとき、わたくしは少しうれしくなりました。わたくしも飲めないほうだからです。お酒を飲む人の食事の漫画は、たいてい一杯目のうまさから始まります。けれど五郎さんの一杯目は、水か、お茶か、ごはんです。白いごはんが欲しくなる漫画、というのはわたくしの口癖ですが、この漫画は、最初から白いごはんが主役の席に座っている。
ひとりで食べることの気楽さと、ほんの少しの心細さ。その両方が、この漫画にはきちんと描かれています。頼みすぎて苦しくなる日もあれば、店の空気になじめず、早く出たくなる日もある。いつもうまくいくわけではないのが、かえって信用できるのです。
もうひとつ、この漫画には、食べものの名前の前に、町の名前がついています。どこの町の、何という料理。五郎さんは仕事で知らない町へ行き、腹が減ったと気づいたところから、店を探して歩きまわる。ですから、読んでいると、料理より先に、その町の駅前や路地の景色が頭に残ります。ひとりで知らない町を歩くことと、ひとりで知らない店に入ることは、たぶん同じくらい勇気がいって、同じくらい楽しいのだと、わたくしはこの漫画で知りました。
わたくしがこの漫画を初めてみなさんにすすめたのは、四年近く前の冬の選書でした。去年の春の特集でも、ひとりの週末に、と書きました。三度目になる今回は、一話ずつ、昼休みに読み返しております。会社の近くの定食屋で、読み終えた回と同じような一皿を探し、見つからなければ、品書きの前で五郎さんのように長考する。先日は、お代わりをするかどうかで二分ほど迷い、結局しないで店を出て、帰り道でやはりすればよかったと思ったのでありました。
浴びるのは、ひとりの週末の昼前に。おなかが空きはじめる少し前がちょうどよいと思います。一話は短く、どこから読んでも構いません。疲れた日の夜に読むと、翌日の昼ごはんが楽しみになる、という効き方もあります。秋は、ことに汁ものの回が沁みます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 孤独のグルメ |
| 原作 | 久住昌之 |
| 作画 | 谷口ジロー |
| 初出 | 扶桑社「月刊PANjA」(1994年〜1996年)。のちに続編も |
近い気持ち
(記録:ぬか)
