視点は三つ。同じ夜の火事が、三回映る。
僕はこの映画を二回観た。一回目は、去年の六月。二回目は、先月のしずく大賞の集計が終わった夜だ。映画部門で、この作品に票が集まった。集計したのは僕だ。票の数を書き終えてから、もう一度観たくなった。
骨組み
湖のある町。夜、駅前の雑居ビルが燃えている。それを、ある母と息子がベランダから眺めている。映画はそこから始まる。
母は麦野早織。夫を亡くし、小学五年の息子の湊と二人で暮らしている。その湊の様子が、少しずつおかしくなる。髪を自分で切ってくる。靴を片方なくして帰ってくる。ある日、耳にけがをして帰ってくる。
問いただすと、担任の先生にやられた、と言う。母は学校に乗りこむ。校長も、担任も、頭を下げる。だが、その謝り方が、どこか噛み合わない。
ここまでが一つ目の視点だ。
同じ夜を、別の場所から
要するに、この映画は、同じ出来事を三つの立場から順に映していく作りになっている。母の目。先生の目。子どもたちの目。
一つ目の視点で見た先生は、正直、ひどい人間に見える。二つ目の視点に切り替わると、同じ場面の、画面の端に映っていなかったものが見えてくる。同じ台詞が、別の意味に聞こえる。建物の外から見ていた骨組みを、内側の配線まで見せられる感覚だ。
何が見えてくるかは書かない。この映画の一番大事なところだ。
ただ、一つだけ。二回目に観たとき、最初の火事の場面で、僕はもう泣きそうになっていた。一回目には、ただの火事だった。二回目には、その夜に誰がどこにいたのかを知っている。同じ画面が、まるで違って見えた。
母の場面
一つ目の視点で、僕が一番長く見ていたのは、安藤サクラの顔だ。学校の廊下で、何度も頭を下げられる。そのたびに、母の顔から表情が一枚ずつはがれていく。怒っている。だが、怒りの向け先が見つからない。相手が謝るほど、何かが遠ざかっていく。
校長を演じる田中裕子が、また効く。ほとんど動かない。ほとんど目を合わせない。僕はこの人物が、一つ目の視点では一番怖かった。三つ目の視点が終わるころには、印象がまた変わっている。どう変わるかは、観て確かめてほしい。
題名のこと
怪物とは誰なのか。映画は、その問いを観る側に何度も投げてくる。母から見れば先生が怪物だ。先生から見れば、別の誰かが怪物に見える。子どもたちは、子どもたちで、自分の中に何かを抱えている。
見終えて思った。怪物は、誰か一人の中にいるのではない。見る場所が一つしかないとき、人は誰でも誰かを怪物にしてしまう。僕も、一回目の最初の一時間、それをやっていた。
音のこと
音楽は坂本龍一だ。多くは鳴らない。ピアノが、ときどき、静かに入る。その少なさが効く。
終盤、嵐の場面がある。雨と風の音の中を、子どもたちが走っていく。僕はこの場面で、映画館の椅子の肘掛けを握っていた。結末には触れない。
誰に
- 人を見た目や噂で決めつけてしまった経験がある人
- 自分の子どもや、身近な誰かのことが、分からなくなっている人
- 一回観て終わりにしない人。この映画は、二回目のほうが強く効く
いつ
雨の夜がいい。眠れない夜に観ると、さらに眠れなくなるかもしれない。それでよければ。できれば、一回目と二回目のあいだを、一週間くらいあけてほしい。その一週間で、自分が一回目に誰を怪物にしていたかを考えることになる。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 怪物 |
| 監督 | 是枝裕和 |
| 脚本 | 坂元裕二 |
| 音楽 | 坂本龍一 |
| 出演 | 安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、田中裕子 ほか |
| 公開 | 2023年6月 |
| 上映時間 | 約126分 |
近い気持ち
第3回しずく大賞の映画部門の大賞作品。選評には書ききれなかったことを、ここに残す。
