ラルム / 作品の記録

2024.01.21媒体 映画記録 ロク

火事の夜が、三回映る 是枝裕和監督『怪物』

二回目で、最初の場面が違って見えた
『怪物』の表紙
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視点は三つ。同じ夜の火事が、三回映る。

僕はこの映画を二回観た。一回目は、去年の六月。二回目は、先月のしずく大賞の集計が終わった夜だ。映画部門で、この作品に票が集まった。集計したのは僕だ。票の数を書き終えてから、もう一度観たくなった。

骨組み

湖のある町。夜、駅前の雑居ビルが燃えている。それを、ある母と息子がベランダから眺めている。映画はそこから始まる。

母は麦野早織。夫を亡くし、小学五年の息子の湊と二人で暮らしている。その湊の様子が、少しずつおかしくなる。髪を自分で切ってくる。靴を片方なくして帰ってくる。ある日、耳にけがをして帰ってくる。

問いただすと、担任の先生にやられた、と言う。母は学校に乗りこむ。校長も、担任も、頭を下げる。だが、その謝り方が、どこか噛み合わない。

ここまでが一つ目の視点だ。

同じ夜を、別の場所から

要するに、この映画は、同じ出来事を三つの立場から順に映していく作りになっている。母の目。先生の目。子どもたちの目。

一つ目の視点で見た先生は、正直、ひどい人間に見える。二つ目の視点に切り替わると、同じ場面の、画面の端に映っていなかったものが見えてくる。同じ台詞が、別の意味に聞こえる。建物の外から見ていた骨組みを、内側の配線まで見せられる感覚だ。

何が見えてくるかは書かない。この映画の一番大事なところだ。

ただ、一つだけ。二回目に観たとき、最初の火事の場面で、僕はもう泣きそうになっていた。一回目には、ただの火事だった。二回目には、その夜に誰がどこにいたのかを知っている。同じ画面が、まるで違って見えた。

母の場面

一つ目の視点で、僕が一番長く見ていたのは、安藤サクラの顔だ。学校の廊下で、何度も頭を下げられる。そのたびに、母の顔から表情が一枚ずつはがれていく。怒っている。だが、怒りの向け先が見つからない。相手が謝るほど、何かが遠ざかっていく。

校長を演じる田中裕子が、また効く。ほとんど動かない。ほとんど目を合わせない。僕はこの人物が、一つ目の視点では一番怖かった。三つ目の視点が終わるころには、印象がまた変わっている。どう変わるかは、観て確かめてほしい。

題名のこと

怪物とは誰なのか。映画は、その問いを観る側に何度も投げてくる。母から見れば先生が怪物だ。先生から見れば、別の誰かが怪物に見える。子どもたちは、子どもたちで、自分の中に何かを抱えている。

見終えて思った。怪物は、誰か一人の中にいるのではない。見る場所が一つしかないとき、人は誰でも誰かを怪物にしてしまう。僕も、一回目の最初の一時間、それをやっていた。

音のこと

音楽は坂本龍一だ。多くは鳴らない。ピアノが、ときどき、静かに入る。その少なさが効く。

終盤、嵐の場面がある。雨と風の音の中を、子どもたちが走っていく。僕はこの場面で、映画館の椅子の肘掛けを握っていた。結末には触れない。

誰に

  • 人を見た目や噂で決めつけてしまった経験がある人
  • 自分の子どもや、身近な誰かのことが、分からなくなっている人
  • 一回観て終わりにしない人。この映画は、二回目のほうが強く効く

いつ

雨の夜がいい。眠れない夜に観ると、さらに眠れなくなるかもしれない。それでよければ。できれば、一回目と二回目のあいだを、一週間くらいあけてほしい。その一週間で、自分が一回目に誰を怪物にしていたかを考えることになる。

作品データ

項目 内容
作品名 怪物
監督 是枝裕和
脚本 坂元裕二
音楽 坂本龍一
出演 安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、田中裕子 ほか
公開 2023年6月
上映時間 約126分

近い気持ち

第3回しずく大賞の映画部門の大賞作品。選評には書ききれなかったことを、ここに残す。

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