最後の曲が終わって、針の音のような、何もない数秒がありました。そのあいだ、窓の外の空を、ただ見ていました。
五十年以上前に出た、荒井由実さんの最初のアルバムです。十代の終わりに作られた一枚だと知ったのは、聴き終えてからのことでした。
一曲目から聴く、ということ
私はアルバムを、一曲目から最後まで、止めずに聴くことにしています。この一枚も、そうしました。
一曲目が、表題曲の「ひこうき雲」です。
この曲だけなら、知っている人は多いと思います。十年以上前に、アニメ映画の主題歌として流れていたからです。私も、映画館で、エンドロールの最初に流れたこの曲を聴いたのが最初でした。そのときは、映画の余韻と、曲の余韻が、どちらがどちらか分からないまま混ざり合っていました。
けれど、アルバムの一曲目として聴くと、まるで違う場所から聴こえてきます。映画の最後ではなく、一枚の始まりに置かれている。始まりの曲なのに、空の高いところへ遠ざかっていくような歌なのです。
身近な人の死をきっかけに書かれた曲だと、あとで知りました。何が歌われているかを、ここで説明するのはやめておきます。ただ、悲しみを大きな声で言う歌ではありません。晴れた空を見上げたまま、目をそらさない歌だと、私は受け取りました。
二曲目からの順番
二曲目からは、空の色が、少しずつ変わっていきます。
曇った空の歌があり、恋の歌があり、雨の街の歌があります。紙ヒコーキの歌もあります。曲の名前を順に追っていくと、空と天気と、飛んでいくものの名前が、何度も出てくることに気づきます。
演奏しているのは、のちに名前の知られていくことになる、若い演奏家たちの集まりだそうです。ピアノの音が、どの曲でも近くにあって、歌う声のすぐ隣で鳴っている。大きな音で押し切る曲は、あまりありません。そのぶん、声の細さが、よく聴こえます。
その声が、私にはいちばん残りました。
上手に歌おうとしている声、というより、ちょうどいい高さを探しながら歌っている声に聴こえました。ときどき、音の終わりが少しだけ揺れる。整えれば整えられたはずの揺れが、そのまま残っている。十代の終わりの人が、自分の書いた曲を、はじめてちゃんと録音した日の声なのだと思うと、その揺れのひとつひとつが、水面の小さな波紋のように見えてきました。
最後の一曲
このアルバムには、仕掛けがひとつあります。
十一曲目。最後の曲は、一曲目の「ひこうき雲」の、短い版なのです。
一曲目で遠ざかっていったものが、アルバムの終わりに、もう一度だけ、短く戻ってくる。戻ってきたと思ったら、すぐに行ってしまう。
はじめて聴いたとき、私はこの短さに、少し戸惑いました。もう一度ちゃんと聴けると思ったところで、音がなくなる。そのあとに残ったのが、最初に書いた、何もない数秒でした。
いまは、あの短さこそが、この一枚の余韻の正体なのだと思っています。誰かを見送ったあと、話の途中で言葉が切れてしまうことがあります。続きを言おうとして、言えないまま、空を見る。最後の短い一曲は、その切れ方に似ている気がします。
秋に聴くこと
夏に聴いたときは、空の青さばかりが耳に残りました。
秋のはじめ、窓を少し開けて、もう一度聴きました。空が高くなる季節です。雲が薄く、細く伸びていく。二曲目のあたりで、窓の外の雲を、目で追っていました。
五十年前の曲を聴いていると、懐かしい、という気持ちになります。けれど、私はこのアルバムが出た頃のことを、何も知りません。知らない時代のことを懐かしく思うのは、たぶん、声の中に、誰にでもある十代の終わりの感じが残っているからなのだと思います。
しずくは四つにしました。一曲目で動いた心が、最後の短い一曲で、もう一度、深いところへ沈んでいったからです。
浴びてほしい人
- 大切な人を見送って、まだ、にぎやかな曲が聴けない人
- 知らない時代の音楽を、少しこわごわ聴いてみたい人
- 映画で表題曲だけを知っている人。一枚を通すと、同じ曲が別の場所から聴こえてきます
浴びる時間
秋の、空の高い日の午後に。窓を少し開けて、一曲目から最後まで、止めずに。移動中に聴くなら、電車の窓際の席で。最後の短い一曲が終わったあと、次の曲を探さずに、しばらく窓の外を見ていてください。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | ひこうき雲 |
| 歌・作詞・作曲 | 荒井由実 |
| 発売 | 1973年11月 |
| 曲数 | 11曲(最後の曲は表題曲の短い版) |
| 演奏 | キャラメル・ママ |
表題曲は、2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の主題歌になりました。
近い気持ち
この一枚は、会ではまだ取り上げていません。今月の会のテーマが「切なくなりたい」だと聞いて、先にひとりで浴びておきたくなりました。
