朝の七時すぎ、まだ暖房の効ききらない部屋で、最後の章を読み終えました。
窓の外は曇っていました。ほうじ茶が、少しだけぬるくなっていました。
わたしは走りません。学生のころから、体育の持久走がいちばん苦手でした。だから、この本を手に取ったのは、十一月の感情浴会で取り上げることになったからです。進行はわたしでした。ひとりを味わいたい、という気持ちの回に、この本以外は思いつきませんでした。
どんな本か
小説家の村上春樹が、長年続けてきた「走ること」について書いた本です。
小説を書くことを仕事に決めたころから、この人は走り始めます。それから二十年以上、ほとんど毎日のように走り、毎年のようにフルマラソンに出てきました。この本は、ある年の夏から次の年にかけて、大きな大会に向けて練習をしていた日々の記録を中心に、書かれています。
走った距離。その日の天気。体の調子。調子の悪い日の、ささいな苛立ち。
書いてあることは、ほとんどそれだけです。たぶん、それだけのことを、これほど丁寧に書いた本は、あまりないと思います。
ひとりで続けること
心が動いたのは、この人が、走ることをずっとひとりのものとして書いていることでした。
誰かと競うためではない。記録のためでもない。昨日の自分より、少しだけ遠くへ行くためでもない。ただ、走る。その繰り返しの中で、自分という人間の輪郭を、少しずつ確かめていく。
小説を書くことについても、同じように書かれています。毎日同じ時間に机に向かう。書けない日も、机を離れない。走ることと書くことは、この人の中で、同じ形をしているようでした。
読みながら、わたしは自分の仕事のことを考えていました。毎朝同じ時間に家を出て、同じ机で、同じような書類を片づける。それを、ひとりで続けていく意味について。
答えが書いてある本ではありません。ただ、続けることそのものを、少しだけ誇らしく思っていいのだと、静かに言われている気がしました。
いちばん残った章
長い距離を走る大会に出たときの章です。
途中で体が言うことを聞かなくなり、それでも足を前に出し続ける。そのうちに、ある地点を越えたところで、この人の中で何かが変わります。その変化を、この人はとても慎重な言葉で書いています。大げさにしない。でも、何かが確かに終わって、何かが始まった、というふうに。
夕立のあとの、空気が入れ替わる瞬間に、少し似ていると思いました。
本の終わりのほうで、この人は、自分が死んだあとに残したい言葉について、少しだけ触れます。その一文を読んだとき、わたしは本を閉じて、少しのあいだ黙っていました。
誰に
走る人にも、走らない人にも。
何かを長く続けていて、ときどき、その意味が分からなくなる人に。
いつ
冬の休日の朝がいちばんです。まだ誰も起きていない時間に、温かいものを用意して。章ごとに区切りがよいので、一日一章ずつでも読めます。
読み終えたら、たぶん、少しだけ外に出たくなると思います。わたしはその日の夜、いつもの散歩の道を、ひとつ先の角まで延ばしてみました。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 走ることについて語るときに僕の語ること |
| 作者 | 村上春樹 |
| 媒体 | エッセイ |
| 発表 | 2007年10月(文藝春秋) |
| 文庫 | 文春文庫 |
近い気持ち
第19回の会の記録は、ロクが書いています。ロクは会の次の朝、久しぶりに走ったそうです。わたしは、散歩でした。たぶん、それで十分だと思います。
(記録:灯)
