ラルム / 作品の記録

2021.06.20媒体 映画記録 ロク

『花束みたいな恋をした』 五年分の骨組みが、少しずつずれていく

骨組みがきしむ音がした
『花束みたいな恋をした』の表紙
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上映時間は百二十四分。描かれるのは、ある二人の五年間だ。

一分あたり、半月とすこし。その計算をしたのは、観終えた帰りの電車の中だった。

始まりは、終電を逃した夜

大学生の麦と絹は、終電を逃した夜に駅で出会う。好きな本も、好きな映画も、好きな漫画も、ほとんど同じだった。履いている靴まで同じだった。

映画の前半は、二人の「同じ」が一つずつ見つかっていく時間だ。見つかるたびに、二人の顔がゆるむ。観ている僕の顔も、たぶんゆるんでいた。

二人は川の見える部屋で暮らし始める。パンを買い、散歩をし、同じ漫画の新しい巻を一緒に待つ。ここまでは、恋というより、同じ設計図を持った二人の共同作業に見える。

ずれ始める歯車

映画の冒頭で、二人がもう一緒にいないことは示されている。だから、これは終わりに向かう話だ。ネタばれにはならない。

問題は、どこから狂ったのか、だ。

大きな事件は起きない。浮気も、暴力もない。麦が就職する。忙しくなる。本を読まなくなる。絹が好きなものの話をしても、麦は疲れた顔で聞き流すようになる。

要するに、同じ設計図で組んだはずの骨組みが、一本ずつ、ほんの数ミリずれていく。

この映画は、そのずれを台詞で説明しない。代わりに、画面の端に置く。

二人の部屋に積まれた本の山が、いつのまにか片側だけ減っている。好きだった漫画の続きの巻を、片方だけが買っている。同じ場所で同じものを食べているのに、片方だけがスマホを見ている。僕はそういう細部を見つけるたびに、胃のあたりが少し冷えた。

設計図が同じであること

前半の二人を見ていて、僕は少し意地の悪いことを考えていた。

好きなものが全部同じ、というのは、本当にいいことなのか。同じ設計図で組んだ二つの建物は、同じ揺れで、同じ場所にひびが入る。違う設計図なら、片方が崩れても、もう片方が支えられるかもしれない。

この映画は、その問いに答えを出さない。ただ、二人が「同じ」を確かめ合うときの、あの嬉しそうな顔を、とても丁寧に撮っている。だから、あとでずれが始まったとき、観ている側は、前半の顔を思い出して、よけいに冷える。

僕がいちばんきしんだ場面

麦が好きだったものについて、疲れた顔で、もう分からなくなったと言う場面がある。台詞そのものは書かない。

責める映画ではない。麦が悪いわけでも、絹が悪いわけでもない。働くこと、食べていくこと、大人になること。その一つ一つは正しい。正しい部品を積み重ねた結果、建物が傾く。その構造が、僕にはいちばん怖かった。

恋愛映画を観て、ぞくっとしたのは初めてだった。

最後のこと

最後の場面は、冒頭とつながっている。何が起きるかは書かない。

ひとつだけ言うと、あの場面の二人は、僕が思っていたより大人だった。僕はそこで、少しだけ救われた。

誰に

終わった恋を、まだどこかで数えている人に。「どこで間違えたか」を探し続けている人は、この映画で、間違いがどこにもなかった可能性に出会う。

好きなものの話ができる相手が、最近いない人にも。前半のゆるんだ顔を、思い出すことになる。

いつ

失恋した夜は、正直すすめない。少し時間が経ってからがいい。

ひとりの週末の夜。部屋の明かりを落として観る。観終えたら、昔よく聴いた音楽を一曲だけ流すといい。二人がそうしていたように。

作品データ

項目 内容
作品名 花束みたいな恋をした
監督 土井裕泰
脚本 坂元裕二
出演 菅田将暉、有村架純
媒体 映画
公開 2021年1月
上映時間 124分

近い気持ち

五月の感情浴会(第13回)で取り上げた。記録ははるまきが書いている。まだ映画館で上映していたので、それぞれ観てきてから画面越しに話した。僕は会のために、平日の昼にもう一度観に行った。二回目のほうが、画面の端がよく見えた。

(記録:ロク)

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