流しの下から土鍋を引っぱり出したのは、一巻を閉じてすぐのことでした。
夜の十時です。冷蔵庫にあったのは、白菜が四分の一と、きのこが少しと、鶏のもも肉がひと切れ。それだけで、わたくしは水炊きを作りました。作らずにはいられなかったのです。
九井諒子さんの『ダンジョン飯』は、迷宮にもぐる冒険者たちの漫画です。冒険の漫画なのに、いちばん力を入れて描かれているのは、ごはんです。それも、迷宮に住む魔物を材料にしたごはんです。
一皿目 どうしてそうなったか
主人公のライオスたちは、迷宮の奥深くで、大きな赤い竜に敗れます。そのとき、ライオスの妹のファリンが、竜に食べられてしまう。仲間の魔法でどうにか地上に戻ってきたものの、お金も荷物もほとんどなくしている。
妹を助けに、すぐにもう一度もぐらなければならない。けれど、食料を買うお金がない。そこでライオスが言い出すのが、迷宮の中の魔物を食べながら進めばいい、という案です。
ライオスについていくのは、エルフの魔法使いのマルシルと、鍵開けの得意なチルチャック。そして途中で出会うのが、ドワーフのセンシ。何年も迷宮にこもって、魔物の料理を研究してきた人です。
二皿目 はじめての水炊き
最初の料理が、大きなサソリと、歩くきのこの水炊きでした。
センシは、手際よく魔物をさばいて、鍋に入れていきます。マルシルは、半泣きで嫌がります。わたくしも読みながら、最初は彼女の側におりました。サソリです。歩くきのこです。
けれど、湯気が立ってきて、センシがお椀によそって、マルシルがおそるおそるひとくち目を口に運ぶ。その顔を見た瞬間、わたくしの口の中にも、だしの味が広がった気がしたのです。
作者は、魔物のどこが食べられて、どう下ごしらえをするのかを、本当にありそうな筋道で描きます。たとえば、動く鎧の中身が何でできているのか。その答えが分かったとき、わたくしは声を出して笑い、それから少し感心しました。生きものの仕組みを、ここまでまじめに考えて描いた料理漫画を、わたくしはほかに知りません。
三皿目 笑いのこと
この漫画は、とにかくよく笑わせてくれます。
ライオスは魔物が好きすぎて、食べる前に観察しはじめて止まらない。マルシルは、嫌がりながら、結局いちばんおいしそうに食べる。チルチャックは、ずっと冷静に突っこんでいる。センシは、何があっても料理の手を止めない。四人の会話が、ぬか床を毎日かき混ぜるように、ちょうどいい具合に空気を入れ替えてくれるのです。
仕事で疲れて帰ってきた夜に、わたくしは何度かこの四人に救われました。誰かとごはんを食べる。それだけのことで、人はこんなにほどけるのか、と。
四皿目 あたたかいものの下にあるもの
ただし、この物語は、ただ楽しいだけではありません。巻が進むにつれて、迷宮そのものの秘密や、妹を取り戻すということの重さが、少しずつ姿を見せてきます。そこから先は、ここには書きません。
ひとつだけ言えるのは、後半になっても、食べることを大切にする姿勢は最後まで変わらない、ということです。どんなにつらい場面のあとでも、誰かが鍋を火にかける。わたくしは、それがこの作品のいちばんの芯だと思っております。
誰に
- 仕事で疲れて、何も作る気が起きない人。読むと、なぜか台所に立ちたくなります
- 冒険ものは苦手でも、料理の漫画なら読める人
- 誰かと一緒にごはんを食べる時間が、最近少ない人
いつ
冬の夜に。できれば、空腹で読まないでください。と言いたいところですが、わたくしは空腹で読むことをすすめます。白いごはんが欲しくなって、土鍋を出して、湯気を見ているうちに、疲れがひとつほどけていきます。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | ダンジョン飯 |
| 作者 | 九井諒子 |
| 連載 | KADOKAWA「ハルタ」(2014年〜2023年) |
| 巻数 | 全14巻 |
| アニメ | 2024年1月からテレビアニメが放送 |
近い気持ち
十一月の感情浴会(第67回)は、わたくしが進行をつとめ、記録は草餅さんが書いてくれました。会の前に、みなさんに「作ってみたい一皿」を一つ決めてきてもらったところ、見事にばらばらでした。会のあと、数人が本当に鍋を作ったと聞いております。わたくしもそのひとりでありました。
