ラルム / 作品の記録

2026.11.03媒体 エッセイ記録 灯

朝の食卓で、いちばん大きな声を出す人 向田邦子『父の詫び状』

笑って読んで、最後の一行で少し黙りました
『父の詫び状』の表紙
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祝日の朝、九時すぎに最後の頁を閉じました。台所のほうじ茶は、もう冷めていました。

窓の外は、よく晴れていました。秋の、少し高い空です。

二十四の話

向田邦子さんの、はじめてのエッセイ集です。テレビドラマの脚本を書いていた人で、この本は、銀座の小さなタウン誌に連載された文をまとめたもの。単行本は1978年に出ています。

話は二十四。どれも、昭和の家のことです。

真ん中には、いつも父がいます。保険の会社に勤めていて、仕事の都合で、家族は何度も引っ越しをします。家では威張っていて、声が大きい。母を叱る。子どもを叱る。宴会から赤い顔で帰ってきて、客まで連れてくる。

書いてあることだけを並べると、ずいぶん困った人です。

笑ってしまう

それなのに、読んでいるあいだ、わたしは何度も笑いました。

向田さんの文は、父を責めません。かばいもしません。ただ、そのときの台所の匂いや、ちゃぶ台の上のおかずや、父の機嫌の悪い朝の新聞の音を、そのまま置いていきます。

置かれたものを読んでいるうちに、大きな声の向こうにいる人の顔が、少しずつ見えてきます。照れている顔。言いそびれた顔。引っこみがつかなくなった顔。

ある話では、家族で食べた何でもないおかずのことが、何年もあとまで続きます。別の話では、引っ越した先の町の景色が、急に匂いごと戻ってきます。どの話も、短いのです。一つ読むと、ちょうど湯のみ一杯ぶん。

冬の夜の玄関

表題の話は、寒い夜の、玄関のことです。

父が連れてきた客が帰ったあと、玄関がひどいことになっていて、娘がそれを片づける。父は、黙ってそれを見ている。何も言わない。

しばらくして、父から手紙が届きます。そこに、短い一行があった。

その一行が何だったのかは、書かずにおきます。本で読んでほしいからです。わたしは、そこまで笑いながら読んできて、その一行で、少しだけ黙りました。

謝る、というほどの言葉ではありません。たぶん、それが、あの人にできた精いっぱいでした。

読み終えて

この本が出て三年ほどのちに、向田さんは飛行機の事故で亡くなっています。

そのことを知って読むと、どの話も、もう戻らない台所の話に見えます。けれど、本の中の家は、いつまでもにぎやかです。父は、いつまでも大きな声で怒っています。

わたしの父は、大きな声を出す人ではありません。それでも、読み終えて、実家に電話をかけようかと少しだけ思いました。祝日の朝に急にかけたら、何かあったのかと心配されそうなので、やめました。夕方に、かけてみるつもりです。


浴びてほしい人

  • 家族のことを、うまく好きとも嫌いとも言えない人
  • 昭和の台所の匂いを、少しだけ知っている人
  • 短い文を、一つずつ寝かせて読みたい人

浴びる時間

休日の朝に。湯のみ一杯で、一つか二つ。一度に全部読まないほうが、たぶん長く楽しめます。

作品データ

項目 内容
書名 父の詫び状
著者 向田邦子
単行本 1978年
収録 エッセイ24篇
手もとの本 文春文庫(新装版)

近い気持ち

会では、まだ取り上げていません。エッセイの回は少ないので、いつか候補に出したいと思っています。たぶん、ぬかさんは、おかずの話のほうから読むと思います。

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