雪の河原。学生服の男の子が、ひとりでサックスを構えている。肩に雪がつもっても、払おうともしない。川の向こうの街は、白くかすんでいる。
うちの手が止まったのは、その次のページ。見開きいっぱいに、音が描いてあった。
音を描く、というのが、どういうことなのか、うまく言えない。でもそのページを開いたとき、うちの耳の奥で、たしかに何かが鳴った。……鳴った気がした、じゃなくて、鳴ったんだと思う。
石塚真一の『BLUE GIANT』は、ジャズの漫画。仙台に住む高校三年生の宮本大が、ジャズに出会って、テナーサックスを独学で吹きはじめる。楽譜もろくに読めない。はじめは、教えてくれる人もいない。だから大は、毎日河原に行く。晴れの日も、雨の日も、雪の日も。ひとりで、ずっと吹いている。
大の目標は、世界一のジャズプレーヤーになること。本気でそう言う。まわりは笑う。でも大は笑わない。
本から音が聞こえる、という話
漫画は音が出ない。当たり前だけど、この漫画を読むまで、うちはそれを当たり前だと思っていた。
大がサックスを吹く場面は、ことばがほとんどない。かわりに、吹いている大の顔と、聴いている人の顔が、交互に描かれる。目を閉じる人、口をあけたままの人、動けなくなる人。聴いている人の顔を見ていると、どんな音なのかが分かってくる。コマとコマのあいだに、音が流れているんだ。
うちは中学の三年間、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた。上手じゃなかった。高校では続けなかった。だから、大が何があっても河原に行くのをやめない場面では、少し胸が痛かった。うちがやめたころ、あんなふうに吹いていたかな、と思った。
読みながら、左手の指が勝手に動いていた。トロンボーンにはキーがないのに。たぶん、大の指を追いかけていたんだと思う。
物語の後半、大は高校を卒業して東京に出る。そこで、とんでもなくうまいピアノの青年と、ドラムを始めたばかりの同級生と、三人で組むことになる。ドラムの同級生の話が、うちはいちばん好き。いちばん下手なところから始めて、いちばん下手なまま、客の前に立つ。その怖さと、それでも立つことの熱さ。夕焼け色みたいなページが、何枚もある。
最後の巻で何が起きるかは書かない。うちは十巻を閉じたあと、しばらく何もしゃべれなかった。
四月の前に
この冬は、大学の最後の冬。四月からは会社に行く。
正直に言うと、少しこわい。好きなことを好きなまま続けられるのか、分からない。うちがトロンボーンをやめたみたいに、何かをやめてしまうんじゃないかと思う。
そういう夜に、この漫画は効く。大は、才能があるから吹いているんじゃない。吹かずにいられないから吹いている。雪の河原で、誰にも聴かれなくても。好きなことって、本当はそういうものなのかもしれない。うまいかどうかは、あとからついてくるか、ついてこないか、それだけのこと。
大学の四年間で、うちがずっと続けてこられたのは、漫画を読むことと、それを誰かに渡すことくらいだった。一滴舎に入ってからは、そこに、感じたことを書くことが加わった。うまく書けているかは分からない。でも、書かずにいられないから書いている。大の河原と比べるのはおこがましいけど、そういうものを一つでも持っていれば、四月からもなんとかなる気がした。
試験や本番の前の晩に、一巻だけ読むのがいいと思う。全部読むと、朝までかかるから。
しずくは四つ。泣いた回数より、指が動いた回数のほうが多かった。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | BLUE GIANT |
| 作者 | 石塚真一 |
| 連載 | 小学館「ビッグコミック」(2013年〜2016年) |
| 単行本 | 全10巻(続きは『BLUE GIANT SUPREME』へ) |
| 受賞 | 第62回小学館漫画賞 一般向け部門 ほか |
この冬のしずく通信の選書で、凪さんが選んでいたのはアニメ映画のほうだった。うちは先に漫画を読みたくて、まだ映画は観ていない。春になったら、会社の最初の休みに観るつもりでいる。
