上映時間は百十九分。吊り橋の場面は、そのうちのほんの短い時間だ。
残りのほとんど全部が、その短い時間をめぐって進む。
帰ってきた弟
弟の猛は、東京で写真家をしている。母の一周忌で、何年かぶりに田舎へ帰ってくる。演じるのはオダギリジョー。
兄の稔は、父と一緒に家のガソリンスタンドをやっている。独り身で、穏やかで、人当たりがいい。演じるのは香川照之。
スタンドには、二人の幼なじみの智恵子が勤めている。真木よう子が演じる。猛とは、昔なにかあったらしい。その「なにか」は、はっきりとは説明されない。
翌日、三人で山の渓谷へ出かける。古い吊り橋がかかっている。
その橋の上で、智恵子が落ちる。そばにいたのは、稔だけだった。
骨組みが見えない
要するに、この映画は、事件の答えを見せない。
見せるのは、残された兄弟だ。稔は裁判にかけられる。猛は、兄のために動く。そのはずだった。
僕は、何が起きたのかを確かめようとして観ていた。橋の場面を、頭の中で何度も組み立てなおした。誰がどこに立っていたか。猛はどこから、何を見ていたか。
組み立てるたびに、骨組みが少しずつずれる。面会の部屋で兄が言うことと、法廷で兄が言うことが、同じようで同じでない。弟が覚えていることも、話すたびに形が変わる。
法廷の場面は多い。でも、裁判の映画の気持ちよさはない。証言が一つ出るたびに、事実が増えるのではない。兄と弟のあいだの距離が、測りなおされるだけだ。
答えを出すための材料は、最後まで、ぜんぶは渡されない。
画面の端の、洗濯物
画面の端に、よく生活のものが映る。
スタンドの制服。家の台所。干してある洗濯物。父が一人で食べる夕飯。兄が何年も、この家で何を引き受けてきたのかが、台詞ではなく、その散らかり方で分かる。
弟のほうは、東京の部屋が少ししか映らない。そのぶん、弟の持っているものは軽く見える。カメラひとつで、どこへでも行ける人に見える。
兄と弟のあいだにあるのは、事件より前から続いている、長い勘定だ。どちらが何を背負い、どちらが何を置いていったか。橋の上の数秒は、その勘定が、一度に表に出てしまった時間なのかもしれない。
観終えて残るもの
結末は書かない。
ぞくっとしたのは、事件の場面ではなかった。兄が、弟を見るときの、ほんの一瞬の顔だ。優しい顔のまま、何かが一枚はがれる。その一枚の下に何があるのかは、映らない。
観終えて、橋の場面だけ、もう一度観た。二度目も、僕には見えなかった。見えなかったことのほうが、たぶんこの映画の答えに近い。
交代の勤めから帰った夜に観た。疲れていたのに、そのあと、しばらく眠れなかった。
浴びてほしい人
- 家族の誰かに、言っていない勘定がある人
- 答えの出ない映画で、ずっと考えていたい人
- 裁判の場面が出てくる映画が好きな人
浴びる時間
ひとりの週末の夜に。観終えてすぐ眠れる映画ではない。翌日が休みの夜を選ぶといい。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 監督・脚本 | 西川美和 |
| 出演 | オダギリジョー、香川照之、真木よう子、伊武雅刀 ほか |
| 公開 | 2006年7月 |
| 上映時間 | 119分 |
近い気持ち
先月、『十二人の怒れる男』を観て、いつか「考え込みたい」の回で出したいと書いた。候補が一本増えた。どちらにするかは、まだ決めていない。
