ラルム / 作品の記録

2026.11.04媒体 映画記録 ロク

兄は、橋の上で手を伸ばしたのか 西川美和監督『ゆれる』

観終えて、橋の場面をもう一度だけ観た
『ゆれる』の表紙
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上映時間は百十九分。吊り橋の場面は、そのうちのほんの短い時間だ。

残りのほとんど全部が、その短い時間をめぐって進む。

帰ってきた弟

弟の猛は、東京で写真家をしている。母の一周忌で、何年かぶりに田舎へ帰ってくる。演じるのはオダギリジョー。

兄の稔は、父と一緒に家のガソリンスタンドをやっている。独り身で、穏やかで、人当たりがいい。演じるのは香川照之。

スタンドには、二人の幼なじみの智恵子が勤めている。真木よう子が演じる。猛とは、昔なにかあったらしい。その「なにか」は、はっきりとは説明されない。

翌日、三人で山の渓谷へ出かける。古い吊り橋がかかっている。

その橋の上で、智恵子が落ちる。そばにいたのは、稔だけだった。

骨組みが見えない

要するに、この映画は、事件の答えを見せない。

見せるのは、残された兄弟だ。稔は裁判にかけられる。猛は、兄のために動く。そのはずだった。

僕は、何が起きたのかを確かめようとして観ていた。橋の場面を、頭の中で何度も組み立てなおした。誰がどこに立っていたか。猛はどこから、何を見ていたか。

組み立てるたびに、骨組みが少しずつずれる。面会の部屋で兄が言うことと、法廷で兄が言うことが、同じようで同じでない。弟が覚えていることも、話すたびに形が変わる。

法廷の場面は多い。でも、裁判の映画の気持ちよさはない。証言が一つ出るたびに、事実が増えるのではない。兄と弟のあいだの距離が、測りなおされるだけだ。

答えを出すための材料は、最後まで、ぜんぶは渡されない。

画面の端の、洗濯物

画面の端に、よく生活のものが映る。

スタンドの制服。家の台所。干してある洗濯物。父が一人で食べる夕飯。兄が何年も、この家で何を引き受けてきたのかが、台詞ではなく、その散らかり方で分かる。

弟のほうは、東京の部屋が少ししか映らない。そのぶん、弟の持っているものは軽く見える。カメラひとつで、どこへでも行ける人に見える。

兄と弟のあいだにあるのは、事件より前から続いている、長い勘定だ。どちらが何を背負い、どちらが何を置いていったか。橋の上の数秒は、その勘定が、一度に表に出てしまった時間なのかもしれない。

観終えて残るもの

結末は書かない。

ぞくっとしたのは、事件の場面ではなかった。兄が、弟を見るときの、ほんの一瞬の顔だ。優しい顔のまま、何かが一枚はがれる。その一枚の下に何があるのかは、映らない。

観終えて、橋の場面だけ、もう一度観た。二度目も、僕には見えなかった。見えなかったことのほうが、たぶんこの映画の答えに近い。

交代の勤めから帰った夜に観た。疲れていたのに、そのあと、しばらく眠れなかった。


浴びてほしい人

  • 家族の誰かに、言っていない勘定がある人
  • 答えの出ない映画で、ずっと考えていたい人
  • 裁判の場面が出てくる映画が好きな人

浴びる時間

ひとりの週末の夜に。観終えてすぐ眠れる映画ではない。翌日が休みの夜を選ぶといい。

項目 内容
監督・脚本 西川美和
出演 オダギリジョー、香川照之、真木よう子、伊武雅刀 ほか
公開 2006年7月
上映時間 119分

近い気持ち

先月、『十二人の怒れる男』を観て、いつか「考え込みたい」の回で出したいと書いた。候補が一本増えた。どちらにするかは、まだ決めていない。

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