(めじろ)おでこに冷えたタオルをのせた下の子に、もう一冊だけ、とせがまれて、同じ絵本を三回読んだ夜がありました。この冬のはじめのことです。
熱を出した日は、体だけじゃなく、気持ちもいっしょに弱くなります。子どもも、大人も。天井のしみがいつもより大きく見えて、なんでもないことが急に心細くなる。そういう日に、そばに置いておける作品を集めよう、という話になったのが、年が明けてすぐのことでした。
先に、いちばん大事なことを書いておきます。熱のある日は、何より体を休めてください。つらいときは、ためらわずにお医者さんに。ここに並んでいるのは、横になったまま、目を閉じたまま、途中で眠ってしまってもかまわないものばかりです。浴びようとがんばる必要は、ひとつもありません。
十一人から集まった候補を、熱の具合にあわせて四つに分けました。熱の高いうち、少し起きていられるようになったころ、熱が下がりはじめたころ、そして、おなかが空いてきたころです。
熱が高いうちは、目を閉じたまま
画面も文字も見なくていい三つです。
(栞)眠っていたのか、聴いていたのか、あとから思い出せない一時間がありました。
最初に静かなアリアがあって、そこから三十の変奏が続き、最後にまた同じアリアに戻ってくる。眠れない夜を過ごす人のために弾かれた、という言い伝えのある曲です。本当かどうかは分からないけれど、熱でぼんやりした頭には、同じ旋律が形を変えながらめぐってくる順番が、ゆっくり揺れる水のように心地よかった気がします。
最後にアリアが戻ってきたとき、はじめて聴いたときと同じ曲なのに、少しだけ違って聞こえました。そのことだけが、熱が引いたあとも残りました。
(こはぜ)読み手の声が、思っていたよりもずっと若かったのです。それで、語り手が砂漠に不時着した飛行士であることを、ぼくはようやく思い出しました。
砂漠のまんなかで、小さな星からやってきた王子が、飛行士に、自分の星に残してきた一輪の花のことや、旅の途中で出会った大人たちのことを話していく。王さま、うぬぼれ屋、呑み助、実業家。どの大人も少しずつ可笑しくて、少しずつ寂しいのです。
熱のある日に耳で聴くと、砂漠の夜の静けさが、障子越しの冬の光のようにやわらかく届きます。一章ずつが短いので、途中で眠ってしまっても、次にまた少しだけ聴けばいいのではないでしょうか。
(灯)朝の十時ごろ。熱で重たい頭のまま、枕もとにこの本を置いていました。
森に住む、頭はよくないけれど気のいい熊と、その友だちの話です。はちみつを探しに行く。友だちの家の入口につかえて、出られなくなる。見たこともない動物の足あとを追いかけて、同じ木のまわりをぐるぐる回る。
子どものころに、たぶん同じように熱を出して読んでもらった本です。筋はほとんど覚えていました。だから、読むというより、湯気のように浴びていました。
一話ずつが短く、どこで閉じても大丈夫です。誰かに読んでもらえるなら、もっといいと思います。
何度も観た安心に、くるまっていたい
筋をよく知っているからこそ、身構えずにいられる二つです。
(はるまき)上の子が小さいころ、熱を出すたびにリクエストされた映画です。ソファに毛布を持ちこんで、はるまきも一緒に観ました。何回観たか、もう数えられません。
田舎の古い家に引っ越してきた二人の女の子が、森で不思議な生きものと出会う話。お母さんは入院していて、女の子たちはときどきお見舞いに行くんですよね。
いや、ほんとに、何度観ても同じところで安心できるのがすごいんです。雨のバス停の場面も、畑のとうもろこしの場面も、次に何が起きるか分かっているのに、ちゃんとほっとする。熱の日の子どもって、知っている話が観たいんだなあ、と思わされました。大人も、たぶん同じです。
(ロク)熱を出した日に、僕が観るのはこれと決まっている。もう二十回は観た。
高校生が、友人の科学者の作った車で、三十年前の町へ飛ばされる。そこで若いころの両親に出会ってしまい、二人の出会いの邪魔をしてしまう。自分が消える前に、元に戻さなければならない。
要するに、よくできた時計のような映画だ。前半で見せた小さな部品が、後半で全部かみ合う。画面の端に映る、時計台のチラシまで伏線になっている。
筋を全部知っていても、最後の雷の場面では手に汗をかく。熱のせいかもしれない。
熱が下がりはじめたら、少しずつ元気を
起き上がれるようになったころに、笑って、体温とは別の熱を上げるための四つです。
(いちょう)熱が下がった日の午後、寝たまま一話だけ、のつもりで流して、気づいたら三話観てました。
正体を隠したスパイのお父さんと、殺し屋のお母さんと、人の心が読める女の子が、それぞれ秘密を抱えたまま家族のふりをする話です。女の子がお父さんたちの心の声を聞いて、勝手にわくわくしてるのがかわいくて、何回も声を出して笑いました。
一話が短くて、話の区切りも分かりやすいです。ちょっと元気がほしい日にぴったりかも。
(草餅)小さな生きものが、草むしりの仕事を終えて、ごほうびの甘いものをほおばる一コマ。それだけで、うちは布団の中で少し笑った。
小さくてかわいい生きものたちが、働いたり、失敗したり、泣いたり、また食べたりする漫画なんだ。一話はほんの数コマ。熱があっても、読みきれる。
ただ、かわいいだけじゃなくて、ときどき怖い生きものも出てくる。その怖さも含めて、泣いたり笑ったりするちいさな毎日が、若葉みたいに明るい。弱っている日に、自分もがんばってるな、と思わせてくれる。
(ヤギ)布団の中で、両手でゲーム機を持った。手首だけで遊べるのがありがたかった。
嵐で難破した主人公が、見知らぬ島の浜辺に流れつく。島の住人たちはみんな少し変わっていて、なぜか島の真ん中の山の上には、大きな卵がある。
作り直された版は、島全体がおもちゃ箱みたいな見た目で、音もやわらかい。坂道も、分かれ道も、どこか夢の中みたいにぼんやりしてる。
熱の日にがっつり遊ぶゲームじゃない。でも、熱が引いてきた日に一つずつ島を歩くには、ちょうどいい。最後のほうで、一回コントローラーを置いた。理由は書かないでおく。
テレビドラマ・2009年
『JIN―仁―』
(タカノツメ)熱が下がったら、まずこれである。医者のドラマで、体の中から元気が湧いてくる。
現代の脳外科医が、ある事件をきっかけに、江戸時代の末の町へ飛ばされる。薬も、道具も、ろくにない。それでも彼は、目の前の病人を救おうとするのだ。
脚本が、一話ごとに医療の手当ての緊張と、人の情の温かさを、ぴりっと絡めてくる。病み上がりの体に、あとから効いてくる一品である。ただ、一話を観ると次が気になって、来週まで待てないどころか、朝まで待てなくなる。熱がぶり返さないよう、一日一話を守られたい。
おなかが空いてきたら
食欲が戻ってきたら、もう大丈夫の合図です。
(めじろ)熱が下がった朝、下の子が指さしたのは、この絵本の、ほっとけーきが焼けていくページでした。
しろくまちゃんが、お母さんとほっとけーきを作ります。卵をわって、粉をまぜて、フライパンに流して。生地がぷつぷつして、ふくらんで、ひっくり返って、焼き色がついていく。そのひとつひとつが、ページいっぱいに描いてあるんだなあ。
読み聞かせのとき、焼けていく音を、子どもといっしょに声に出すのが好きです。おなかが空いたら、元気になってきた証拠。その日のおやつは、決まっています。
(ぬか)熱が下がって、まっさきに恋しくなったのは、ひとくちの温かいスープでありました。
恋人に家財道具ごと去られ、声まで出なくなってしまった若い女性が、故郷の山あいの村に戻り、一日に一組だけのお客のための小さな食堂を開くお話です。お客の話をよく聞いて、その人のためだけの料理を作る。その料理を食べた人に、少しずつ小さな奇跡が起きていきます。
わたくしは、この本の、料理の支度の描写が好きです。丁寧に出汁をとり、ゆっくり火を入れる。病み上がりの体には、読むだけでじんわり染みていきます。白いごはんが欲しくなったら、もう大丈夫です。
この特集の使い方
(めじろ)最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
熱の日の感情浴は、ひとりでがんばらなくていい、というのが、話し合っていていちばん多く出た声でした。誰かに読んでもらう、誰かの隣で観る。それができなくても、布団の中でイヤホンから流れる声が、少しだけ誰かのかわりになってくれます。
それから、子どものころに熱を出した日に観ていたもの、読んでもらったものを思い出してみてください。大人になってから浴び直すと、ふしぎなくらい安心できることがあります。
場面「熱を出した日」のページには、この特集に入れなかった作品の記録も並んでいます。気持ちの辞典の「癒されたい」「元気を出したい」「おなかを空かせたい」からも、近い作品を探せます。
どうか、お大事に。










