隊員は八人。任期はおよそ一年。場所は、南極の内陸にある観測基地だ。
標高は富士山より高い。寒すぎて、ペンギンもアザラシもいない。あるのは雪と、氷と、建物がひとつ。
その建物の台所に立つのが、この映画の主人公だ。
料理番の一年
『南極料理人』は、観測隊の料理担当として南極へ送られた西村の話だ。原作は、実際にその仕事をした人の書いたエッセイになっている。
西村の仕事は、八人の男たちに、一年間、毎日三度の食事を出すこと。材料は、最初に運びこんだものがすべてだ。途中で買い足すことはできない。
要するに、閉じた箱の中の話だ。人も、食料も、時間も、決まった量しかない。
大きな事件は起きない。命がけの遭難もない。観測をして、食べて、寝て、また観測をする。その繰り返しの中で、男たちが少しずつおかしくなったり、少しずつ仲よくなったりする。
腹が鳴った場面
僕の腹が最初に鳴ったのは、伊勢海老の場面だった。
豪華な材料が手に入った夜、西村は凝った料理を考える。ところが隊員たちが食べたいと言い出したのは、まったく別のものだった。そして出てくるのが、巨大なエビフライだ。
画面の端から端まで届きそうな、あり得ない大きさのエビフライ。それを、いい大人たちが、真顔で囲んでいる。僕は声を出して笑い、その直後に腹が鳴った。
もう一つは、ラーメンだ。
一年分あるはずだった即席麺が、ある時点で尽きる。隊長が、ほとんど魂の抜けたような顔になる。ラーメンがないと生きていけない、という顔だ。
西村は、手元にあるもので、なんとか麺を打とうとする。材料が一つ足りない。どうするか。ここは観てほしい。
僕は交代勤務の仕事をしている。夜勤明けに食べる一杯の麺が、どれだけ人を支えるかを知っている。だからあの場面の隊長の顔は、笑えなかった。笑ったが、笑えなかった。
ほどける理由
この映画は、閉じた箱の中の話なのに、息が詰まらない。
誰かが夜中に、こっそり台所をあさっている。誰かが遠くの家族に電話をかけて、うまく話せない。誰かが、誰にも見られていないと思って、ひとりでふざけている。そういう、機械の隙間に挟まった小さな部品みたいな場面が、ずっと続く。
観ているうちに、肩の骨組みが一本ずつ緩んでいく。しずくは二つ。心が大きく動く映画ではない。ただ、観終えたあと、台所に立ちたくなる。
西村の顔
主人公の西村は、ほとんど表情を変えない。
隊員たちが騒いでも、わがままを言っても、黙って台所に戻る。日本には家族がいる。自分から望んで来た場所ではない。そういう事情が、ほんの少しずつ見えてくる。
僕が好きなのは、西村が料理を出したあと、みんなが食べているのを、少し離れた場所から見ている顔だ。喜んでいるのか、疲れているのか、よく分からない。要するに、毎日働いている人の顔だ。この映画は、その顔を、大げさにせずに映し続ける。
誰に
同じ場所で、同じ人たちと、同じ仕事を続けている人に。
仕事で疲れて、何も考えたくない人に。
料理をしない人にも。僕もほとんどしないが、観終えたあと、麺をゆでた。
いつ
仕事で疲れた日の夜。ただし、腹が減っていないときに観ること。減っていると、途中で止める羽目になる。
冬の休日に観るのもいい。外が寒い日ほど、画面の中の湯気がよく見える。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 南極料理人 |
| 監督・脚本 | 沖田修一 |
| 原作 | 西村淳のエッセイ『面白南極料理人』 |
| 出演 | 堺雅人、生瀬勝久、きたろう、高良健吾、豊原功補 |
| 媒体 | 映画 |
| 公開 | 2009年8月 |
近い気持ち
この映画を選んだのは、ぬかだ。会の日は、ぬかの提案で、全員が何か一品を用意してから画面の前に座った。僕は缶コーヒーと、コンビニのおにぎりだった。ぬかには、少し残念そうな顔をされた。
(記録:ロク)
