ラルム / 作品の記録

2025.10.12媒体 映画記録 ロク

百七十五分、瞬きの回数を数えそこねた 李相日監督『国宝』

席を立つのが一番最後になった
『国宝』の表紙
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上映時間は百七十五分。三時間に五分足りない。長いと聞いて、前の晩は早く寝た。

必要なかった。長さは一度も気にならなかった。

一人の役者の、五十年の話だ。

一 骨組み

昭和の半ば。長崎の任侠の一家に生まれた少年、喜久雄。ある冬の夜、父を目の前で失う。行き場をなくした少年を引き取ったのは、上方の歌舞伎の名門の当主、花井半二郎だった。

半二郎には、年の近い息子がいる。俊介。生まれながらの跡取りだ。

血を持たない喜久雄と、血を持つ俊介。二人は同じ稽古場で、女形として育てられる。親友で、兄弟で、競争相手。要するに、この映画はこの二人の関係の話だ。

喜久雄を吉沢亮が、俊介を横浜流星が、半二郎を渡辺謙が演じる。

二 舞台の場面

僕は歌舞伎に詳しくない。一度も劇場で観たことがない。だから、演目の良し悪しは分からない。

それでも分かったことがある。舞台の場面になると、映画館の空気が変わる。

二人が並んで踊る場面がある。白い顔。鮮やかな衣装。扇の動き。カメラは客席からの眺めと、舞台の上の顔の寄りと、舞台袖からの眺めを、切り替えていく。画面の端に、袖で出番を待つ人間の影が映る。汗が見える。息が見える。

美しいものが、どれだけの骨組みの上に立っているか。その骨組みまで、一緒に映っている。

稽古の場面もいい。少年時代の二人が、半二郎に何度も同じ所作をやり直させられる。立ち方。首の角度。指の先。僕には違いが分からない。だが半二郎には分かる。何十回目かで、ようやく一度だけうなずく。その一度のために、画面の外で何百回が積まれている。

要するに、この映画の舞台の美しさは、稽古場の床の傷の上に建っている。僕はそう観た。

三 分かれ道

途中、ある大役を、どちらが務めるかで、二人の道が大きく分かれる。

ここからの詳しいことは書かない。書けば、観る人から一番大事なものを取ってしまう。ただ、選ばれた者にも、選ばれなかった者にも、同じくらいの重さの時間が流れる。映画はどちらの時間も、同じ真剣さで映す。

僕が一番ぞくっとしたのは、ある舞台の直前、化粧をしている喜久雄の手が震える場面だった。震える手と、鏡に映る顔。その震えが、恐怖だけなのか、別の何かもあるのか、僕には分からなかった。分からないまま、幕が上がる。

四 二人の顔

吉沢亮と横浜流星。二人とも、女形の化粧をすると、顔の骨組みがまるで変わる。白く塗った顔の奥に、喜久雄と俊介がそれぞれ何を抱えているか。台詞より先に、目の動きで分かる場面が多い。

特に、舞台の上で二人が互いを見る一瞬。役として見ているのか、本人として見ているのか。その境目が、ときどき消える。僕はそのたびに、画面の端から端まで目を動かしていた。瞬きを数えそこねたのは、そのせいだ。

五 見終えて

エンドロールが終わっても、しばらく席を立てなかった。周りの客が全員出ていってから、ようやく立った。

一つのことを極めるために、人は何を差し出すのか。差し出したものは、戻ってくるのか。答えは出ない。出ないまま、映画館の外に出たら、秋の夕方で、思ったより空が暗かった。

六 誰に、いつ

  • 何かを長く続けてきた人。続けることで失ったものがある人
  • 友人であり、競争相手でもある誰かがいる人
  • 歌舞伎を知らない人。僕もそうだった。問題ない

観るなら、映画館で、ひとりで。休日の昼の回がいい。三時間を丸ごと預けられる日に。途中で飲みものを飲むのも忘れるので、缶コーヒーは最後まで開かなかった。

作品データ

項目 内容
作品名 国宝
監督 李相日
原作 吉田修一の小説
出演 吉沢亮、横浜流星、渡辺謙 ほか
公開 2025年6月
上映時間 約175分

近い気持ち

九月の感情浴会(第65回)で取り上げた。進行は僕、記録ははるまき。公開中の作品だったので、それぞれ映画館で観てきてから、画面越しに話した。全員、観た日も時間もばらばらだったのに、話の最初に出てきた場面はほとんど同じだった。

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