隣の席の女の子が、授業中にこっちを見て、ちょっとだけ笑う。それだけで西片くんは、また何か仕掛けられると身構えて、教科書を持つ手に力が入る。この漫画は、だいたいいつも、そのコマから始まるんです。
中学生の西片くんは、隣の席の高木さんに、毎日からかわれています。消しゴムに何か書いてあるのを見られそうになったり、ちょっとした勝負を持ちかけられたり、帰り道で急に黙られたり。そのたびに西片くんは、今日こそ仕返ししてやると決めて、あれこれ作戦を練るんですが、ほぼ全部、見抜かれて返り討ちにあう。一話が短くて、読み終えるまでに、西片くんはたいてい一回は顔を真っ赤にしています。
負けっぱなしの話
最初に読んだとき、自分は西片くんの側にいました。どうにかして一回くらい勝ってほしい、と本気で思っていたんです。何回読んでも、作戦を立てている西片くんの顔がまじめすぎて、そこで笑ってしまう。
でも、巻が進むうちに、少しずつ見え方が変わってきます。高木さんがからかうのは、たぶん西片くんのことが気になっているからで、しかもそれを、西片くんだけが分かっていない。読んでいるこっちは、ずっと前から分かっている。その差がじれったくて、ここ、本当に、何度も本を閉じて天井を見ました。
自分が好きなのは、高木さんが勝ったあとに、ほんの一瞬だけ見せる顔なんです。からかい終わって、西片くんが悔しがっているのを見ているときの、うれしそうな、でも少しだけ照れているような顔。西片くんはそれを見ていない。見ていないから、また明日も勝負を挑んでくる。その繰り返しが、だんだんうらやましくなってくるんです。毎日同じ相手に負け続けられるって、けっこう幸せなことなんじゃないか、と。
舞台は、海の見える小さな町です。坂道、自転車、防波堤、夏祭り。自分はこういう町で中学生をやった覚えがないのに、読んでいると、あったはずのない放課後が懐かしくなります。
一巻の表紙は、雨の中、ひとつの傘に入って歩く二人なんです。高木さんは楽しそうで、西片くんは困った顔をしている。この表紙だけで、この漫画のほとんど全部が描かれていると思います。二十巻あっても、二人の関係は、ほんの少しずつしか進まない。進まないのに、飽きない。同じ勝負を何回繰り返しても、毎回ちょっとだけ違う負け方をする西片くんを見ていると、自分も毎朝同じ道を歩いているのに、同じ朝は一回もなかったな、と思えてくるんです。
切ない回の翌朝に
この前の土曜の会は、切なくなりたい、の回でした。いちょうが進行で、何回観ても同じところで喉がしまる映画を、みんなで観た。自分はあの夜、うまく眠れなかったんです。
それで、翌朝、この漫画の一巻を本棚から抜きました。口直し、というと作品に悪いんですが、切ない話のあとに読むと、何も起きない一日の尊さが、いつもより効きます。西片くんと高木さんのあいだにも、言わないまま終わる気持ちはたくさんあるはずなのに、この漫画では、それが毎回ちゃんと明日へ持ち越される。そこに、自分は救われました。
移動中に一話ずつ読むのがいいと思います。自分は外回りの電車の中で読んでいて、高木さんの一言で思わずにやけてしまい、あわてて顔を伏せました。休日の朝に、布団の中で数話だけ、というのも向いています。誰かを好きになったばかりの人にも、昔そういう相手がいた人にも。どちらで読んでも、西片くんの顔が、少しだけ自分に見えてくるはずです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | からかい上手の高木さん |
| 作者 | 山本崇一朗 |
| 連載 | 小学館「ゲッサン」(2013年〜2023年) |
| 巻数 | 全20巻 |
近い気持ち
(記録:凪)
