ボタンを押しっぱなしにしていた右手の指が、しびれていた。気づいたのは、二時間たってからだった。
押していたのは、手をつなぐボタンだ。
押し入れから
五年前、『ワンダと巨像』のことを書いた。書き終えてから、ずっと気になっていたゲームがある。同じ人たちが、その前に作った一本。『ICO』。
九月の終わりに、押し入れから古いゲーム機を出した。コードが絡まっていて、ほどくのに三十分かかった。
ワンダより前。二〇〇一年の冬に出たゲームだ。
どんなゲームか
頭に角の生えた少年が、霧の中の古い城に連れてこられる。角のある子どもは、この城に閉じこめられる決まりらしい。石の棺のようなものに入れられて、置いていかれる。
少年は、そこから抜け出す。そして、城の奥の鳥かごのような檻の中で、白い服の少女に出会う。
少女の言葉は、分からない。字幕も出ない。少年の言葉とも違う。何を言っているのか、最後まで、はっきりとは分からない。
二人で、城から出ようとする。やることは、それだけだ。
手をつなぐ
このゲームで一番よく押すのは、攻撃のボタンでも、ジャンプのボタンでもない。少女の手をつなぐボタンだ。
押しているあいだ、少年は少女の手を握って、引いて走る。少女は少しだけ遅れてついてくる。段差の前で手を離すと、少女はそこで立ち止まる。少年が先に登って、上から手を伸ばす。少女が跳ぶ。つかむ。
それを、何百回もやる。
最初は、正直、面倒だった。少女は足が遅い。高いところは登れない。ちょっと目を離すと、どこかに行きかける。
十回目くらいで、面倒じゃなくなった。
二十回目くらいで、手を離すのがこわくなった。
影
少女から離れすぎると、床から黒い影が湧いてくる。影は、少女を床の黒い渦の中へ連れていこうとする。少年は棒切れを振り回して、影を追い払う。
ここで、ぞくっとした。
影は、大きな音も立てずに、すっと出てくる。部屋の隅の暗いところから、気づいたら、そこにいる。少女の悲鳴は、言葉が分からないのに、何を言っているかだけは分かる。
仕掛けを解くために、少女を置いて、少し遠くまで行かなきゃいけない場面がある。そのたびに、影が出ないか、画面の端を何度も見た。分かれ道の先を見に行くとき、後ろが気になって、足が止まる。遠くの山を見に行く道で、置いてきた荷物のことばかり考えている、あの感じ。
長椅子
城のところどころに、古い長椅子がある。
二人で並んで座ると、そこで記録ができる。少女がいないと、座っても記録はできない。一人で座っても、何も起きない。
ここで一回、コントローラーを置いた。
画面の中で、二人が長椅子に座っている。少年は少し疲れた顔をして、少女は少し眠そうにしている。霧の向こうで、鳥が鳴いている。記録が終わっても、しばらく立ち上がらせなかった。
一人では、ここまでの道のりを残せない。そう作られていることが、あとから、じわじわ効いてきた。
寂しいのは、どっちか
城は広い。人はいない。聞こえるのは、風の音と、水の音と、鳥の声だけ。
ワンダのときも、誰もいない場所を歩いた。あのときは、寂しさの中に一人でいた。このゲームでは、二人でいる。二人でいるのに、言葉が通じない。通じないまま、手だけはつながっている。
寂しいのは、言葉が通じないからじゃなかった。手を離したら、それで終わるかもしれないからだった。
結末には触れない。ただ、終わったあと、しばらく右手を開いたり閉じたりしていた。何かを握っていた感じが、手のひらに残っていた。
誰に
- 誰かの手を引いて歩いた記憶がある人。子どもでも、年をとった親でも
- 言葉が通じない相手と、どうやって一緒にいるかを考えてしまう人
- 『ワンダと巨像』を先に遊んだ人。順番が逆でも、ちゃんと効く。俺がそうだった
いつ
秋の、ひとりの週末に。日が短くなって、夕方の光が斜めになる頃がいい。城の中の光も、ずっとそういう色をしているから。
眠れない夜にもいいけど、影の場面は少しこわい。部屋の灯りは一つだけ残して。
一日で終わらせようとしなくていい。長椅子に二人を座らせて、今日はここまで、と決めて電源を切る。その切り方が、このゲームには合っている。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | ICO |
| 発売 | 2001年12月(PlayStation 2) |
| 発売元 | ソニー・コンピュータエンタテインメント |
| ディレクター | 上田文人 |
| そのほか | 2011年9月に PlayStation 3 向けの HD 版 |
近い気持ち
会では、まだ取り上げていない。来年、俺が進行する回が来たら、候補に出してみるつもりだ。手を離すボタンの重さの話を、一時間しても、たぶん足りない。
