ラルム / 作品の記録

2020.11.22媒体 音楽記録 栞

最後の一曲が終わって、部屋の音が戻ってくるまで 藤井風『HELP EVER HURT NEVER』

余韻が長く残りました
『HELP EVER HURT NEVER』の表紙
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最後の曲のピアノが消えてから、冷蔵庫の低い音が聞こえてくるまで、少し時間がかかりました。

そのあいだ、私は再生の画面を閉じずに、止まった波形をただ見ていました。

藤井風の最初のアルバム『HELP EVER HURT NEVER』は、全部で十一曲。はじめて通して聴いたのは、夏のはじめの夜でした。十月の感情浴会のテーマが「寂しさに浸りたい」に決まり、凪が出してきた三つの候補の中にこの一枚を見つけたとき、私はほかの二つを読む前に、これにしましょうと書きこんでいました。

はじめの数曲は、にぎやかです

寂しさの話をする前に、このアルバムの一曲目は、ちっとも寂しくないということを書いておきます。

「何なんw」は、跳ねるようなピアノと、低くうねるリズムで始まります。声は、力の抜けた話し言葉のように聞こえるのに、音の芯だけはやけにしっかりしている。二曲目、三曲目と進むにつれて、昔の歌謡曲のような和音や、夜の街のような軽い揺れが、次々に顔を出します。歌われている言葉は、作者の生まれ育った土地の響きを残していて、それが音に独特の手ざわりを足しています。

私はシャッフル再生が苦手で、アルバムは曲順どおりに聴くと決めています。この一枚は、特にその順番に意味がある気がします。にぎやかな曲が先に並んでいるからこそ、後半に来る静けさが、深く沈むのです。

後半の、水の底のような時間

アルバムの終わりに向かって、音はだんだん少なくなっていきます。伴奏がピアノひとつになる瞬間があり、声が息づかいまで聞こえる近さに来る瞬間があります。

最後の「帰ろう」は、その静けさの行き着く先にある曲です。歌の中身をここで説明することはしません。ただ、この曲を聴いているあいだ、私はずっと、何かを手放していくときの、あの軽さと寂しさの両方を感じていました。重たい荷物を下ろしたときに、肩が軽くなるのと同時に、手のひらが少し心細くなる。そういう感じです。

寂しさに浸る、と聞くと、暗い曲を想像するかもしれません。でもこの曲の寂しさは、にじんだ夕焼けの色に近くて、浸かっているうちに、体の力が少しずつ抜けていきました。

画面越しに、同じ一枚を

会では、全員が同じ時間に再生ボタンを押しました。

けれど、画面越しに同じ音を聴くというのは、少し不思議な体験です。回線の具合で、誰かの部屋の音がほんの一瞬遅れて聞こえたり、途中で誰かの家の犬が鳴いたりする。最初は気になっていたその小さなずれが、後半の静かな曲に入ったころには、なぜか心地よくなっていました。

同じ一枚を、ばらばらの部屋で、少しずつずれながら聴いている。その距離の感じが、このアルバムの寂しさに、よく似合っていた気がします。集まれない時期だったからこそ、そう感じたのかもしれません。

誰に

誰かと離れて暮らしている人に。あるいは、いつか離れることを、うすうす分かっている人に。

にぎやかな音楽を聴く元気はないけれど、無音も耐えられない、という夜を過ごしている人にも。前半の曲で少し体を揺らして、後半で静かに沈んでいく。その順番が、ちょうどいい湯加減になると思います。

いつ

眠れない夜に、部屋の明かりを落として、一枚を通して。途中で止めずに聴ける夜を選んでください。

秋の夜の移動中もいいと思います。電車の窓に映る自分の顔を見ながら、後半の曲を聴いていると、いつもの帰り道が、少しだけ知らない道に見えてきます。

作品データ

項目 内容
作品名 HELP EVER HURT NEVER
アーティスト 藤井風
媒体 音楽(アルバム)
発表 2020年5月
曲数 11曲
そのほか 最初のアルバム

近い気持ち

第6回の感情浴会では、全員でこの一枚を通して聴きました。記録は灯が書いています。最後の曲が終わってから、誰かが最初に口を開くまでの長い沈黙が、私にはいちばん残りました。

(記録:栞)

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