一月二十日。
午前四時すぎの、まだ暗い駅。
前の日に出たばかりの一枚を、ホームのベンチで再生した。
吐く息が白い。
向かいのホームの蛍光灯が、ひとつだけ点滅していた。
宇多田ヒカルの、八枚目のアルバム。
十曲。
配信が先に出て、CDはひと月遅れて、今週出た。
ジャケットの写真は、家の廊下の壁にもたれて立つ本人。
その横を、子どもが走り抜けていく。
ぶれている。
それが、一枚の中身とよく似ていると思う。
一曲目と、二曲目から
一曲目で、夜が少しゆるむ。
身構えていた肩が、一段だけ下がる。
二曲目から、体の向きが変わった。
ベンチの上で、背中が線路のほうへ回った。
自分でも、なぜかは分からない。
テレビドラマの主題歌になっていた曲だと、あとで知った。
日本語と英語が、ふつうに混ざる。
どちらかに寄せて聴こうとすると、置いていかれる。
意味は追わない。
音の上を、声が歩いていく。
その歩幅が、夜勤明けの足とちょうど合う。
途中、アニメ映画の主題歌も入っている。
そこだけ、少し知っている景色。
知らない道の途中で、見覚えのある看板を見つけたときの感じ。
そのあと、少しだけ明るい曲がつづく。
跳ねるリズム。
でも、明るさの底に、ずっと同じ低い音が流れている。
踏切の警報みたいに、遠くで鳴りやまない音。
それが、この一枚の芯だと思う。
歌詞のことは、書かない。
書かなくても、困らない一枚だった。
ひとつだけ。
強い言葉の曲が、強い声で歌われていない。
部屋の中で、ひとりごとを言うくらいの距離。
だから、夜明け前の駅でも、うるさくない。
最後の、長い曲
始発が来た。
乗った。
暖房の風が、足もとから上がってくる。
最後の曲は、十二分近くある。
歌よりも、音の時間のほうが長い。
同じ形が、何度も、少しずつ変わりながら戻ってくる。
窓の外が、紺から灰色になっていく。
その変わり方と、曲の進み方が、たまたま同じ速さだった。
降りる駅の二つ手前で、音が消えた。
イヤホンを外さずに、そのまま座っていた。
何も鳴っていない耳で、電車の揺れだけを聴いていた。
この声を知ったのは、ずっと前。
十代のころ、ラジオから流れてきた。
同じ人の声が、二十年くらいたって、
台所や廊下のような、生活の近さで鳴っている。
一曲目の題名が、そのままアルバムの名前になっている。
悪い調子の日の歌、というような題。
そういう日のことを、そのまま題にしてしまえる距離。
それから、ひと月。
夜勤明けのたびに、同じ一枚をかけている。
十曲、並びのまま。
飛ばさない。
さびしい一枚、とは少し違う。
さびしさを、無理にどかさない一枚。
どかさないまま、隣に座らせておく。
そうしていると、固まっていたものが、少しずつほどけていく。
今週出たCDには、配信にはなかった曲が、後ろに四つ足されている。
そっちは、別の日に聴いた。
並びの十曲とは、分けておきたかった。
最後の長い曲のあとに、何かが続くのが、
まだ少し、落ち着かないから。
しずくは四つ。
今年まだ二月。
それでも、この冬いちばん何度も戻ってきた音だと思う。
浴びるなら、眠れない夜の終わりか、夜明け前の移動のあいだ。
最初から最後まで、順番に。
部屋の明かりは、一段落としておくといい。
最後の曲は、止めずに、消えるまで。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | BADモード |
| 歌 | 宇多田ヒカル |
| 配信 | 2022年1月 |
| 発売(CD) | 2022年2月 |
| 曲数 | 10曲(CDは追加の曲あり) |
近い気持ち
(記録:オト)
