読み聞かせのとき、あたしの声が、まんなかのページで止まってしまいました。
むすめは三歳半になって、ひざの上から、どうしたの、という顔でふりかえりました。あたしは、なんでもないよ、と言って、鼻をすすって、続きを読みました。そのあとも二回、声がふるえました。
この絵本を読むのは、たぶん十数年ぶりです。子どものころに図書館で読んで、よく分からないまま、なんだかさびしい話だと思っていました。
どんなおはなし
森に、年をとったアナグマがいます。かしこくて、やさしくて、森のみんなにたよりにされている。でも、自分がもうすぐ死ぬことを、アナグマは知っています。こわくはない。ただ、残していくみんなのことが、少し気がかりなだけ。
ある夜、アナグマは手紙を書いて、それから夢を見ます。長いトンネルを、足どりも軽く、どこまでも走っていく夢です。
次の朝、森のみんなは、アナグマがいなくなったことを知ります。
あたしの声が止まったところ
冬のあいだ、みんなはずっと悲しんでいます。雪が降って、森が白くなって、それぞれの家にこもって、アナグマのことを思っている。
そして春になって、雪がとけたころ、みんなが集まって、アナグマの思い出を話しはじめるんです。
モグラは、アナグマに紙の切り方を教えてもらった。手をつないだモグラが、ずらっとならんで切りぬける、あの切り方です。カエルは、スケートを教えてもらった。キツネは、ネクタイの結び方。ウサギのおくさんは、しょうがパンの焼き方。
みんな、アナグマからもらったものを、ちゃんと持っていたんだなあ。
あたしの声が止まったのは、ここでした。悲しいから、じゃなかった気がします。ひとりひとりが、自分の手の中にあるものに気づいていく。その順番が、ていねいで、やさしくて、ほつれた毛布をひと目ずつつくろっていくみたいで。
読みながら、あたしは自分の祖母のことを思い出していました。あたしが祖母に教わったのは、ボタンのつけ方と、おみそ汁のだしのとり方です。祖母がいなくなって何年もたつのに、あたしは今でも、祖母のやり方でボタンをつけています。そのことに、この絵本を読むまで気づいていませんでした。
子どもと読むこと
むすめは、まだ「死ぬ」ということは、よく分かっていないと思います。それでいい、とあたしは思っています。この絵本は、何かを教えるための本じゃない。
ただ、読み終わったあと、むすめが、アナグマさんはどこ、と聞きました。あたしは少し考えて、トンネルの向こう、と答えました。むすめは、ふうん、と言って、それからあたしに、いっしょに紙を切ろう、と言いました。
その夜は、ふたりで折り紙を切って、手をつないだ人形をつくりました。うまくつながらなくて、半分でちぎれてしまいました。それでも、むすめはうれしそうでした。
だれに
- 大切な人を見送って、しばらくたった人。悲しみのまんなかより、少し落ちついてからのほうが、しみると思います
- 子どもに、別れのことをどう話したらいいか迷っている人
- 自分が、だれかから何をもらったのか、ふりかえってみたい人
いつ
春に。雪がとけて、外の色がもどってくるころに。それから、大切な人の命日が近づいたときにも。一冊を、ゆっくり、声に出して読んでみてください。ひとりで読むときも、声に出すと、ちがうところで止まります。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | わすれられないおくりもの |
| さく・え | スーザン・バーレイ |
| やく | 小川仁央 |
| 日本語版 | 1986年10月(評論社) |
近い気持ち
七月の感情浴会(第75回)は、あたしが進行をつとめ、記録はこはぜくんが書いてくれました。会では、みんなが「だれかに教わって、今も続けていること」をひとつずつ話しました。画面の向こうで、何人かが目もとをぬぐっているのが見えました。
