小生の手帳のなかで、いちばん字が乱れているのは、おととしの春から秋までのページである。
毎朝、会社へ行く前に十五分の朝ドラを観た。観た翌日に、手帳に一行だけ書く。心に残った場面と、そのとき自分がどう感じたか。台詞は書かない。これは小生が連続ドラマを観るときの決まりで、以前ここにも書いた。
半年で百三十回。つまり百三十行ある。先週、その手帳を久しぶりに開いた。この記録は、その百三十行を読み返しながら書いている。
百三十の朝
猪爪寅子という女性の話である。昭和の初め、女が法律を学ぶこと自体がまだ珍しかった頃に、大学の女子部へ進み、弁護士になり、やがて裁判官になる。
手帳の最初の数週は、字がきれいだ。寅子がお見合いを断り、母親に隠れて進学の道を探す。母は反対する。ところがある日、母のほうが先に娘の背中を押す。その週の小生の一行は、落ち着いた字で、こうある。母の顔が、来週まで待てない。
来週どころか、明日まで待てなくなるのは、そのすぐあとだった。
寅子の家族が、ある事件で法廷に引きずり出される週がある。ここから手帳の字が崩れはじめる。小生は法廷ものが好きだ。弁護する側と裁く側、それぞれの理屈が一行ずつ積み上がっていく、あの骨組みがたまらない。その骨組みを、このドラマは十五分ずつ、毎朝少しずつ組み立てていった。仕事どころではない朝が、何日もあった。
辛さの効き方
このドラマの脚本は、甘い朝のあとに、必ず唐辛子を一本仕込んでくる。
女子部の仲間たちは、一人、また一人と道を離れていく。家の事情で。時代のことで。戦争が来て、寅子の近くにいた人たちも、何人もいなくなる。手帳のその頃のページは、一行が極端に短い。書けなかった朝もある。
戦争のあと、寅子はもう一度法律の道に戻る。家庭のもめごとや、行き場のない少年少女を扱う新しい裁判所づくりに関わっていく。ここからの後半は、辛さの種類が変わる。ぴりっと来る辛さではない。飲みこんだあと、何週もかけて胃のあたりで効いてくる辛さである。
寅子は、よく怒る。よく首をかしげる。納得できないことを、納得できないまま口にする。周りの大人たちは困った顔をする。だが、その問いは、たいていその週には答えが出ない。答えは、何週もあとになって、別の誰かの口から返ってくる。小生の手帳には、同じ疑問が三か月あけて二度書いてある箇所が、いくつもあった。
脇の人々も、よく効く。父、母、兄の妻、大学の先生、同じ道を行く学生たち。誰もが一度は寅子に向かって、何かを言いそびれる。その言いそびれた分が、何十回もあとで、ちゃんと返ってくる。
二年たって
今年の三月、感情浴会で、小生はこの作品の進行をさせてもらった。はじめの週と終わりの週だけを観てくる、という決め方をした。途中を知っている者と知らない者で、同じ最終週がどう見えるか確かめたかったのである。
あのとき、毎朝観ていたはるまきは、半年ぶんの寅子を思い出して泣いていた。放送の頃は観ていなかったいちょうは、途中を全部観たくなった、と言った。小生は進行役のくせに、手帳の百三十行ぶん、しばらく黙っていた。
二年たって読み返すと、手帳の字の乱れ方そのものが、この半年の記録になっている。字がきれいな朝は、たいてい寅子が笑っていた朝だ。字が崩れている朝は、たいてい小生が会社に遅れそうになった朝である。
背中を押されたい人に、と言いたいところだが、少し違う。このドラマは背中を押さない。押されなくても立っている人を、半年ぶん見せてくれる。新しい場所で最初の一年を迎える人には、それがいちばん効くのだと思う。疲れた日の夜に一週ぶんずつ観てもいい。ただ、できれば朝に。一日十五分、半年かけて。小生はそれ以上の観方を知らない。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 連続テレビ小説『虎に翼』 |
| 放送 | 2024年4月〜9月(全130回) |
| 脚本 | 吉田恵里香 |
| 主演 | 伊藤沙莉 |
| 主題歌 | 米津玄師「さよーならまたいつか!」 |
しずくは五つ。二年たっても、あとから舌がしびれてくる。
