十九年前の映画だ。今年の六月、全国の映画館でもう一度かかった。僕は平日の昼の回に行った。
それまでは、公開から何年もたってテレビで一度観ただけだった。大きな画面で観るのは初めてだった。
半年たった。いまも、湯屋の配管の音を覚えている。
建物が動いている
十歳の女の子、千尋。両親と車で引っ越し先へ向かう途中、道をまちがえる。森の奥に、古いトンネルがある。抜けると、誰もいない町。屋台に料理が並んでいる。両親は勝手に食べはじめる。日が暮れる。両親は豚になる。
ここまでが、僕には一番ぞくっとした。怖いものは何も映っていない。人がいない。音が少ない。それだけだ。
千尋は、湯屋で働くことになる。八百万の神々が湯につかりに来る、大きな建物だ。
要するに、この映画の主役の半分は建物だと思う。
湯屋は、上から下まで、ひとつの機械として描かれている。最上階に経営者の湯婆婆がいる。下の階で湯女たちが客をさばく。さらに下、ボイラー室で、六本の腕を持つ釜爺が薬湯を調合している。煤の粒みたいな小さな生きものたちが、石炭を運ぶ。上の階から、薬湯の札が釜爺のところへ届く。湯が下から上へ送られる。
注文と湯が、建物の中を行き来する。その配線が、画面の端にずっと映っている。僕は途中から、千尋より配管を目で追っていた。
一番よくできていると思ったのは、ひどく汚れた客が来る場面だ。湯屋じゅうが嫌がる。千が一人で相手をさせられる。大きな湯船に、上から湯を落とす。最後は、湯屋の全員が一本の綱を引く。建物全体が、一つの仕事のために動く。工場の一斉稼働を見ているようだった。
もう一人、仮面をつけた客がいる。何も言わない。金を出し、食べ、どんどん大きくなる。湯屋の歯車が、この客のせいで空回りしはじめる。機械は、入れすぎると壊れる。
名前
千尋は、働くかわりに名前を取られる。契約書に書いた名前の一部を、湯婆婆が指でつまんで持っていく。そこから先、彼女は「千」と呼ばれる。
この仕組みが、じわじわ効いてくる。名前を取られた者は、元の名前を忘れていく。忘れると、帰り道が分からなくなる。
湯屋で千を助ける少年、ハクも、どうやら何かを忘れている。
建物の中の仕事は、ちゃんと回っている。朝から晩まで、誰もが忙しい。ただ、その歯車の中にいるうちに、自分が誰だったかを思い出せなくなる。僕は交代勤務の職場で、同じことを考えた夜がある。
水の上の電車
後半、千は湯屋を出て、電車に乗る。
線路は、浅い水の上を走っている。窓の外は一面の水だ。駅にはほとんど誰もいない。乗客は、影のように透けた人たちだ。誰もしゃべらない。
この場面だけ、映画の速さが変わる。それまで湯屋の中を走り回っていたカメラが、座席に座る。千も、隣に座る者も、黙って窓の外を見ている。
僕はここで、肩が下りた。二時間のうち、たぶん数分の場面だ。映画館の暗がりで、自分の呼吸の音が戻ってきた。
遠くへ行くのに、大きな冒険はいらない。黙って座っていればいい。そう言われた気がした。
結末には触れない。千尋が最後に何を持って帰るのかは、自分の目で確かめてほしい。
誰に。働きはじめて、仕事の名前で呼ばれることに慣れてしまった人。子どものころに一度観たきりの人。二度目は、見える場所がまるで違う。
いつ。冬の、ひとりの週末に。部屋を暗くして、音を少し大きめに。電車の場面で、一度だけ再生を止めてもいい。缶コーヒーは、そこで開けるとちょうどいい。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 千と千尋の神隠し |
| 監督・原作・脚本 | 宮崎駿 |
| 制作 | スタジオジブリ |
| 公開 | 2001年7月 |
| 上映時間 | 約125分 |
