夜行バスの窓側の席。シイノが、白い箱をひざに抱えて座っている。窓の外は真っ暗で、ガラスに自分の顔だけが映っている。
うちは、このコマのところで、毎回ページをめくる手が遅くなる。
おととしの秋、特集「大切な人を亡くしたときに」で、この漫画のことを短く書いた。あのときは加入したばかりで、四段落しか書けなかった。書ききれなかったことが、ずっと残っていた。この春から会社員になって、半年。久しぶりに読み返した。前とは違う場所で止まったので、そのことを残しておく。
どんな話か
シイノトモヨは二十六歳の会社員。ある日、ラーメン屋のテレビのニュースで、親友のイカガワマリコが亡くなったことを知る。
マリコは子どものころから、父親にひどいことをされてきた子だった。大人になってからも、つらい相手とばかり付き合っていた。そのたびに、シイノが話を聞いてきた。
シイノは、マリコの遺骨を、父親の家から奪って逃げる。そのまま、昔マリコが行きたがっていた海の岬へ向かう。名前が自分に似ているから、と言っていた場所。
旅のあいだに、お金をなくしたり、知らない土地で途方に暮れたりする。岬の近くで、マキオという青年に助けられる。一冊で終わる話で、ページ数はそんなに多くない。でも、読み終えると一日ぶん歩いたみたいに疲れる。
二年前に書いたこと、書かなかったこと
二年前は、シイノの乱暴さに救われた、と書いた。怒ってもいい、きれいに悲しめなくてもいい、って。その気持ちは今も変わらない。
ただ、二年前のうちは、シイノのことを「強い人」だと思って読んでいた。口が悪くて、行動が早くて、誰の言うことも聞かない人。
今回は違った。シイノは、たぶんすごく疲れている人なんだ。
仕事の電話に頭を下げたり、ひとりでたばこに火をつけたり。そういうコマが、物語の最初のほうに何枚かある。前は読み飛ばしていた。今は、そこでいちいち止まってしまう。自分も半年、似たような帰り道を歩いているからだと思う。
だから、遺骨を奪う場面が、前よりずっと切なく見えた。あれは勇気というより、もう限界だった人の、最後の力みたいなものなんだ。そこに友だちの骨があったから、走れた。
見開きで、シイノが箱を抱えて、あの家から飛び出していく。コマとコマのあいだで、息の音が聞こえる気がする。二年前は、ここで胸がすっとした。今回は、ここで泣いた。
マリコのほうを向いて
もうひとつ、今回気づいたことがある。
回想の中のマリコは、いつもシイノのほうを見て笑っている。子どものころのマリコも、制服のマリコも、大人になったマリコも。その笑い方が、少しずつ変わっていく。うちは前に読んだとき、それに気づかなかった。
シイノは旅のあいだ、マリコに向かって、ずっと話しかけている。怒ったり、責めたり、謝ったり。返事はない。骨は答えない。それでも話しかけるのをやめない。
大切な人を亡くしたあとの、あの「言えばよかった」の山を、シイノは全部ひとりで背負って岬まで行く。うちは誰かを亡くしたことを、まだ数えるほどしか知らない。それでも、シイノが箱に向かって話すコマは、夕焼け色ににじんで見えた。
最後のほうで、シイノのもとにあるものが届く。それが何かは書かない。ただ、うちはそこで本を閉じて、しばらく窓の外を見ていた。九月の終わりの、夕方の空だった。
この漫画には、つらい過去の描写がある。心が弱っている日には、無理に開かなくていいと思う。でも、誰かにちゃんと怒れなかったまま別れてしまった人には、いつか読んでほしい。怒っていい、と言ってくれる一冊だから。
一冊で終わるので、通勤の電車で半分、帰りのバスで半分。うちはそうやって読んだ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | マイ・ブロークン・マリコ |
| 作者 | 平庫ワカ |
| 初出 | KADOKAWA のウェブ漫画誌「comic BRIDGE」(2019年) |
| 単行本 | 全1巻(2020年1月) |
| 映画 | 2022年9月に実写映画が公開 |
