段がひとつ終わると、読み手の声がすっと引いて、部屋の中に冷蔵庫の小さな音だけが残りました。その音を、しばらく聴いていました。
十月に入ってから、眠る前に『枕草子』の朗読を、一晩にひとつずつ聴いています。今夜で七晩目です。
なぜ、ひとつずつなのか
最初の夜は、続けて聴くつもりでいました。
けれど、三つ目の段に入ったところで、前のふたつが頭の中で混ざりはじめたのです。『枕草子』は、ひとつながりの物語ではありません。季節のこと、宮仕えの日々のこと、好きなもの、嫌いなもの。清少納言という人が、思いついたことを、思いついた長さで書きとめた文の集まりです。
続けて聴くと、アルバムをシャッフルで流しているような落ち着かなさがありました。それで、一晩にひとつ、と決めました。一曲ごとに針を上げて、レコードを裏返すような聴き方です。
読み手の名前は書きません。原文を、ゆっくりと読む朗読です。古い言葉なので、意味がすぐには分からないところもあります。それでも、声の高さと間の取り方で、書いた人が楽しんでいるのか、少しむっとしているのかは、ふしぎと伝わってきました。
「春はあけぼの」の段の、秋のところ
一晩目は、いちばん有名な、最初の段にしました。春、夏、秋、冬と、それぞれの季節のいちばんいい時間を挙げていく段です。
教科書で、春のところだけ覚えさせられた記憶があります。今回、耳で聴いて残ったのは、秋のところでした。
秋は夕暮れがいい、と書かれています。夕日が山の端に近づくころ、烏が寝床へ急いで、三羽、四羽と飛んでいく。雁が列になって、ずっと遠くに小さく見える。日が沈みきってからは、風の音や、虫の声。
聴いていて、ああ、千年前の人も、この時間に窓の外を見ていたんだ、と思いました。
懐かしい、という言葉は、知っている時間に使うものだと思っていました。けれど、聴き終えたとき、私は確かに懐かしかったのです。夕方の帰り道に、遠くの鳥の列を目で追ったことのある人なら、誰でも持っている景色だからかもしれません。
「うつくしきもの」の夜
四晩目は、かわいいものを並べていく段でした。
瓜に描いた子どもの顔。ちょこちょこと寄ってくる雀の子。小さな子どもが、床に落ちていたごく小さなものを見つけて、つまんで大人に見せる手つき。
ひとつ挙がるたびに、読み手の声が、ほんの少しだけゆるむのです。その声のゆるみが、そのまま私の肩に移ってきて、その夜はいつもより早く眠れました。
反対に、興ざめなものを並べていく段もあります。昼間に吠える犬、のような。こちらは、声の端に、少しだけ意地の悪い笑いがにじんでいる。千年前の人が、同じ部屋で小さく舌打ちをしているようで、聴きながら声を出して笑ってしまいました。
静まる理由
この朗読が眠る前に合うのは、たぶん、どの段も短くて、どこにも向かっていないからだと思います。
物語なら、続きが気になって目が冴えます。でも、ここには続きがありません。「いい」と思ったものを、いいと言って、そこで終わる。その終わり方が、一日の終わりに、ちょうどいい重さなのです。
七晩目の今夜は、秋のところを、もう一度聴きました。目を閉じていたら、遠くに雁の列が見えた気がしました。
浴びてほしい人
- 教科書で『枕草子』の最初だけ覚えて、それきりの人
- 眠る前に、続きの気にならないものを聴きたい人
- 季節の変わり目に、窓の外を見る時間が少し増えた人
浴びる時間
秋の夜、眠る前に。一晩にひとつの段を。灯りを落として、聴き終えたらそのまま止めてください。次の段は、明日の楽しみに取っておきます。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 枕草子 |
| 作者 | 清少納言 |
| 成立 | 平安時代の中ごろ(1000年前後) |
| 聴いたもの | 原文の朗読(読み手の名前は書きません) |
| 手もとの本 | 現代語訳つきの文庫(意味を確かめるときに) |
近い気持ち
会では、まだ取り上げていません。こはぜさんの朗読の回で、いつか古い随筆も聴いてみたい、と話したことがあります。そのときの候補に、そっと入れておきます。
