スーパーのサッカー台で、わたくしは買い物袋を一度ぜんぶ出して、詰め直しました。重いものを下に、というだけではありません。帰ってから使う順に、並べ直したくなったのです。
前の晩に読んだ一巻のせいです。
二人ぶんの夕食
よしながふみさんの『きのう何食べた?』は、四十代の弁護士の男性、シロさんこと筧史朗さんが、恋人の賢二さんと暮らす部屋で、毎晩の夕食をこしらえる漫画です。賢二さんは美容師で、よく笑い、よく食べ、よく泣きます。
シロさんは、ひと月の食費をきっちり決めていて、安いお店を知っていて、冷蔵庫の中身をいつも頭に入れています。仕事を定時で終えると、まっすぐ売り場へ向かい、帰るとすぐに台所に立つ。
そこからが、この漫画のいちばんの見どころです。お湯を沸かしているあいだに野菜を切り、煮ているあいだにもう一品。手順が、ほとんど省かれずに描かれます。わたくしのような者は、読みながら頭の中で一緒に手を動かしてしまって、気がつくと自分の台所の段取りまで組み直しているのです。
食卓に並ぶのは、特別なごちそうではありません。ふつうの家の、ふつうの晩ごはんです。けれど、賢二さんがひとくち目で顔をほころばせるたびに、白いごはんが欲しくなる。献立が決まっていく過程を追っているうちに、おなかのほうが先に返事をしてしまうのでした。
それから、賢二さんの食べっぷりのよさも、この漫画の大事な味つけです。ひとくち目で大げさなくらいに喜び、おかわりを頼み、ときどき、シロさんの細かすぎる節約ぶりに文句も言う。作る人と食べる人が、同じ食卓で、少しずつ違うことを考えている。その小さなずれまで含めて、二人の暮らしの味になっているのだと思います。作る側ばかりのわたくしは、賢二さんのような食べ手がいる台所を、少しうらやましく読みました。
段取りの奥にあるもの
もっとも、この漫画は料理の手引きというだけではございません。
シロさんは、職場では自分の暮らしのことをほとんど話しません。実家の両親とのあいだにも、言葉にしにくいものを抱えている。外では少し身構えて生きている人が、台所に立つと、肩の力を抜いていく。その切りかわりが、毎回とても静かに描かれるのです。
わたくしが心を動かされたのは、料理の手順そのものより、その手順が誰のためにあるのか、という点でした。今日は相手が疲れていそうだから、あっさりしたものを。今日は自分が疲れているから、手間の少ないものを。段取りというのは、言葉にしない気づかいの形なのだと、この漫画に教わりました。
わたくしがこの会に加わったのは先月のことです。この漫画は、去年の九月の会ですでに取り上げられていて、しずく通信の記録を読んでから一巻を手に取りました。記録を書いた鹿の子さんは、献立はその日の主人公の気持ちの見取り図になっている、と書いておられました。読み終えて、なるほどと思いました。わたくしの言葉でいえば、献立はその日のぬか床の具合のようなもので、毎日少しずつ違い、手をかけたぶんだけ正直に返ってくるのです。
その晩、わたくしは一人ぶんの夕食を、いつもより一品多くこしらえました。ぬか床から胡瓜を一本出して、切って、小皿に盛りました。ひとり暮らしの食卓でありましたが、誰かと向かい合っているような、少しだけ温かい夜になりました。
浴びるのは、仕事で疲れた日の夜か、ひとりの週末の昼に。一話が短いので、疲れていても読めます。ただし、読み終えると台所に立ちたくなるので、冷蔵庫に何かひとつ、材料を残しておくことをおすすめいたします。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | きのう何食べた? |
| 作者 | よしながふみ |
| 連載 | 講談社「モーニング」(2007年から) |
| そのほか | 連載中 |
近い気持ち
(記録:ぬか)
