スティックを前に倒したまま、しばらく何も押せなかった。
画面の中では、赤い衣を着た旅人が、夕日の中の砂の斜面を滑り降りていた。何もしなくても、旅人は勝手に進んでいく。俺の手は、ただ倒したスティックを離せなかっただけだった。
『風ノ旅ビト』は、砂漠で目を覚ました旅人が、遠くに見える光る山を目指して歩くゲームだ。
説明はほとんどない。文字もほとんど出てこない。できることは、歩く、跳ぶ、そして一種類の短い声を出すことくらい。それだけで、最後まで行ける。
一緒に歩いたやつ
このゲームには、ときどき、もう一人の旅人が現れる。
同じ時間に遊んでいる、どこかの誰かだ。名前は出ない。話すこともできない。できるのは、あの短い声を鳴らし合うことと、同じ方向に歩くことだけ。
最初に会ったとき、俺はそいつを無視して先に行こうとした。そしたら、そいつが何度も声を鳴らしながら、崩れた壁の裏にある光るかけらのところへ連れていってくれた。拾うと、旅人の首の布が少し伸びて、そのぶん長く飛べるようになる。
それから二時間くらい、俺たちはずっと一緒に歩いた。
分かれ道で待ってくれる。はぐれたら、声で呼び合う。俺が高いところに登れなくて困っていると、そいつは近くで何度も跳んで、跳べるだけの力を分けてくれる。言葉はひとつも交わしていないのに、途中から、そいつが次に何をしたいのか、なんとなく分かるようになっていた。
手が止まったところ
夕日の斜面の話は最初に書いた。あそこは、遊んだ人の多くがたぶん同じ場所で声を上げると思う。砂が金色に光って、音楽がどんどん大きくなって、隣をもう一人の旅人が同じ速さで滑っていく。
でも、俺が本当に手が止まったのは、そのあとの雪の山だった。
風が強くて、前に進めない。首の布が、寒さで少しずつ短くなっていく。一緒に歩いていたそいつと、身を寄せ合うみたいにして、一歩ずつ登る。
ここで一回、コントローラーを置いた。
画面の中の二人が、あまりにも小さかったからだ。遠くの山の光だけが、ずっと同じ場所にある。近づいているはずなのに、全然近くならない。あの感じは、ゲームの中でしか味わったことがない。
山の頂のあたりで何が起きるかは書かない。そこは自分の足で確かめてほしい。
音のこと
このゲームには、言葉のかわりに音楽がある。
旅人が歩き始めると、低い弦の音が鳴る。進むにつれて、楽器が増えていく。一緒に歩くやつが現れると、音が少し明るくなる。はぐれると、また一つに戻る。
俺は途中まで、音楽がゲームに合わせて変わっていることに気づかなかった。気づいたのは、雪の山で、音がどんどん細くなっていったときだ。風の音だけが残って、弦が一本、かすかに鳴っている。その細さが、そのまま画面の中の二人の心細さだった。
遊び終えたあと、しばらく音楽だけを流していた。目を閉じると、砂の斜面が見えた。
遊び終えて
エンディングのあとで、一緒に歩いた相手の名前が一瞬だけ分かる。俺はその名前を、しばらく画面の前で見ていた。知らない人だった。たぶん一生会わない人だ。
それでも、あの二時間、俺にとっていちばん近くにいたのは、そいつだった。
誰に
遠くへ行きたいのに、今は行けない人。ゲームはほとんどやらない人にもすすめたい。操作は歩くのと跳ぶのだけで、敵を倒す場面もない。
ひとりが好きな人。でも、ひとりで行ける場所の限界も、少しだけ知っている人。
いつ
ひとりの週末の夜。二時間くらい、誰にも話しかけられない時間を作ってから始めるのがいい。途中でやめると、一緒に歩いていた相手とはそこで別れることになる。
眠れない夜にもいい。遊び終えたころには、たぶん、少し遠くまで歩いてきたみたいな疲れ方をしている。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 風ノ旅ビト |
| 開発 | thatgamecompany |
| 音楽 | オースティン・ウィントリー |
| 媒体 | ゲーム |
| 発売 | 2012年3月(プレイステーション3)。のちにプレイステーション4やパソコンでも |
| 遊ぶ長さ | 最後まで二時間ほど |
近い気持ち
三月の感情浴会(第11回)で、俺の進行で取り上げた。はじめて会でゲームをやった回だった。記録はロクが書いてくれている。
(記録:ヤギ)