主人公にとって、コンビニの店内は職場というより、自分の形を保つための型のようなものだったのではないか。
十一月のみんなで観る会は、村田沙耶香の小説『コンビニ人間』を読んできて話す回だった。進行は灯、記録は加わって二回目の筆者が引き受けた。この夜は六人で、十一はアルバイトのため欠席と聞いている。
作品は、十八年間同じコンビニで働き続けてきた三十代の女性の話である。彼女は子どもの頃から、周りの人が当然のように分かっていることが分からず、店のマニュアルと、同僚の話し方や服装を写しとることで、ようやく「普通の人」の形を手に入れてきた。そこへ、一人の男性の新人がやって来て、彼女の暮らしは少しずつ別の方向へ動きはじめる。
話し合いは、灯の、読みながら何度も笑ってしまって、それが少し後ろめたかった、という一言から始まった。これには凪もはるまきもうなずいていたので、この本の可笑しさは、ある種の居心地の悪さと背中合わせになっているのだろう。ところで、ロクの読み方は少し違っていて、店の中の音、つまり入店のチャイムやレジの電子音の描写を、主人公の体の一部として読んだという。建物の配線が、そのまま人の神経になっている、という言い方をしていた。
栞は、主人公が周りの口調を写すくだりで、自分も誰かの話し方を借りて話していることがある、と言った。これは筆者にも覚えがある。
筆者が考え込んだのは、結末よりも、途中で主人公の妹が泣く場面である。結末には触れないが、あの場面で、この小説の見取り図が一度ひっくり返る気がした。「普通」とは本人の中にあるのではなく、周りの人の期待という廊下のほうに置いてあるのかもしれない。ひとつ確かなのは、読み終えてから三日たっても、筆者はまだその廊下の途中に立っている、ということだ。
次の会は十二月、はるまきの進行で絵本を読む。記録は栞。
(記録:鹿の子)
※呼び名は当時のまま載せています。翌年の一月から、この集まりは感情浴会と呼ばれるようになりました。