先に結論を書いておく。小生は、一気見より、待つほうが好きである。
配信で何でも一気に観られる時代に、何を言っているのかと思われるだろう。小生も、年末年始には何十話も一気に観る。それはそれで、激辛の麺を一気にすするような快感がある。だが、連続ドラマのいちばんの味は、一話と一話のあいだにある、と小生は考えている。今回は、その話をしたい。
待つあいだに、何が起きているか
毎週決まった曜日の決まった時間に、一話ずつ放送される。次の話は、七日後だ。
この七日間に、小生の中では何が起きているのか。考えてみると、なかなか忙しい。
放送の翌日は、まだ興奮が残っている。最後の場面を何度も思い出し、あの台詞の意味を考え、職場の昼休みにひとりで思い出し笑いをする。三日目あたりで、少し落ち着く。四日目、五日目になると、次の話のことを考え始める。あの人物はどうなるのか。あの約束は守られるのか。そして放送前日、小生はもう、来週まで待てないどころか、明日まで待てない。
一話を観ているのは一時間足らずだ。しかし、その一話を味わっている時間は、実は七日間ある。これが、連続ドラマという長い感情浴なのだと思う。
今年の冬に待ったもの
今年の一月から三月にかけて、小生は毎週金曜の夜を、宮藤官九郎脚本の『不適切にもほどがある!』に捧げた。七月の会でも、進行を務めさせてもらった作品である。
昭和の終わりの頃の中学教師が、ある日、現在の時代に飛ばされてしまう話だ。古い価値観のまま、いまの職場や家庭の「当たり前」に、遠慮なく口を出していく。笑える。そして、ときどき、笑っていた自分に小骨が刺さる。
脚本が、とにかく一話ごとに違う味を出してくる。ある週は甘く、ある週はとびきり辛い。その味の違いを、一週間かけて口の中で転がしていると、次の話で、またまったく違う皿が出てくるのである。
一気見していたら、たぶんこの味の違いは、ここまではっきり分からなかっただろう。七日という間が、舌を一度まっさらに戻してくれるのだ。
いま、待っているもの
そして今、小生は毎朝、十五分ずつ待っている。
今年の春から放送されている連続テレビ小説『虎に翼』である。昭和の初めに、法律の道を志した女性の一代記だ。法廷ものが好きな小生にとって、これほど待ちがいのある半年はなかった。
朝ドラは、毎週ではなく毎朝である。平日の朝に一話十五分ずつ、半年かけて進んでいく。一日の待ち時間は短いが、そのぶん、主人公の人生と一緒に、小生の半年も進んでいった。春に観始めたとき、主人公はまだ若かった。いま、九月の半ばである。
ここで大事なことを書いておく。この文章を書いているのは、最終週の、さらにその前の週の直前である。小生は、最終回の前の週がいちばん好きだ。物語の糸が、一本ずつ結ばれていく。まだ全部は結ばれていない。その、ぎりぎりの張りつめ方が、たまらないのだ。
だから、ここでは物語の中身には触れない。触れたくても、小生にもまだ分からない。
待つための、小さな工夫
待つことを楽しむために、小生が勝手に決めていることが三つある。
一つ。次回予告は、観ない。見せすぎの予告は、七日間の想像を台なしにする。
二つ。放送の翌日に、ひとつだけ、心に残った場面を手帳に書く。台詞は書かない。自分がそのとき、どう感じたかだけを書く。最終回のあとに読み返すと、自分の一週間ごとの心の動きが、並んで見える。
三つ。一気見したくなっても、我慢する。これがいちばん難しい。
一気見を否定するわけではない
念のため書いておくと、小生は一気見を否定しない。
三月の会で『愛の不時着』を取り上げたときは、第4話まで観てくる約束だったのに、会のあとで半分以上のメンバーが待ちきれずに続きへ手を出していた。進行役の小生も、その一人である。あれは、一気に観るからこそ、あの熱量が体の中で途切れずに燃え続ける作品なのだと思う。一気見には一気見の、しびれ方がある。
ただ、もしあなたが今、毎週待っている作品があるなら、その七日間を少しだけ大事にしてみてほしい。待つあいだに、作品はあなたの中で、少しずつ味を変えていく。ぬか床で漬物がなじんでいくように、とは、わが会のぬかの言いそうな例えである。
小生の場合は、あとから効いてくる唐辛子のように、である。
来週まで待てない。その気持ちごと、感情浴なのだ。
(タカノツメ)