今月の会が終わって、全員の画面が消えたあと、私はしばらく暗くなったパソコンの前に座っていました。六年前の五月にも、同じようにして座っていたのを思い出しながら。
感情浴会は、二〇二〇年の五月に始まりました。集まれない春に、それぞれの部屋の画面の前で、同じ時間に同じ作品を再生してみた。それが第一回です。私はその月に加わったばかりで、その夜が最初の参加でした。
それから六年。今月の会で、第七十三回になりました。一度も欠かさず、毎月一回。そのすべてを、画面越しで続けてきました。
去年の春に加わったいちょうから、会の決まりはどこかにまとめてあるのか、と聞かれたことがあります。探してみると、どこにもありませんでした。六年ぶんの記録に、ばらばらに書いてあるだけです。この機会に、一度まとめておこうと思います。
作品の決め方
毎月の作品は、凪が候補を三つ出すところから始まります。
凪は、その月のテーマの気持ちに合いそうな作品を、媒体がばらけるように選んできます。小説、映画、アニメ、音楽、絵本、ゲーム。三つの候補を見て、その月の進行役が一つに決めます。進行役は、その作品をいちばん好きな人か、その媒体をいちばん得意とする人が引き受けることが多いです。
テーマの気持ちは、灯が作った順番表に沿って、毎月一つずつ決めています。同じ気持ちがなるべく続けて来ないように、けれど何年かたつとまた巡ってくるように。泣きたい、笑いたい、ぞくっとしたい。六年のあいだに、どの気持ちも三回ほど巡ってきました。
同じ作品は、二度と取り上げない決まりです。これは、最初の一年のうちに自然とできたものでした。
当日の流れ
会はたいてい、土曜か日曜の夜九時に始まります。
最初の十分ほどは、近況の話をします。仕事のこと、季節のこと、この一か月で浴びた作品のこと。子どもが寝たかどうかの報告から始まる人もいます。
それから、進行役の合図で、それぞれの部屋で同時に再生します。合図は、声で数を数えることがほとんどです。三、二、一、で、全員が再生を押す。ずれることもあります。数秒のずれは、気にしないことにしています。
再生しているあいだは、マイクを切ります。これは第一回から続いている、いちばん古い決まりです。
長い作品は、全部を一緒に観ることはしません。連続ドラマやアニメなら、事前にどこまで観てくるかを決めておき、当日は一話だけを一緒に再生します。長い小説や漫画は、各自で読んでから集まります。映画館で上映している作品は、それぞれ近くで観てきてから、画面越しに話すことにしています。
朗読や音楽の回は、画面を消して、部屋を暗くして聴くことが多いです。私がいちばん好きなのは、この回かもしれません。
終わったあとの、数分
作品が終わっても、すぐにはマイクをつけません。
これは、灯が最初に決めたことです。見終わってから、少しだけ黙る時間を置く。長さは決まっていません。誰かがマイクをつけるまで、数十秒のこともあれば、数分に及ぶこともあります。
この数分のことを、私は毎回の記録にあまり書いてきませんでした。書くことがないからです。画面の中で動いているのは、それぞれの部屋の明かりと、ときどき揺れるカップの湯気だけ。それでも、その静けさの中で、たぶんいちばん大きなものが動いている気がします。
それぞれの部屋で観ているので、隣で誰かが泣いている気配は分かりません。けれど、黙っている時間の長さで、なんとなく分かるのです。今夜は、みんな深く沈んだな、と。
話す順番
誰かが最初にマイクをつけたら、そこから話が始まります。
決まった順番はありません。ただ、一人が話しているあいだは、ほかの人は口を挟まない。話したくない人は、話さなくてもいい。代わりに、チャットの欄に一行だけ書いてもいい。
話すのは、作品の出来ではなく、どの場面で、自分の中の何が動いたか、です。上手い下手や、好き嫌いの点数はつけません。同じ場面で、ある人は泣き、ある人は笑い、ある人は何も感じなかった。その違いを、違いのまま置いておく。それが、この会でいちばん大事にしていることだと、私は思っています。
結末に触れるかどうかは、作品ごとに進行役が決めます。推理小説の回は、結末に一切触れずに話しました。あの夜の、みんなが言いかけては黙る感じは、今でもときどき思い出します。
記録のこと
会の記録は、その月の記録係が、一週間ほどのうちにまとめます。
はじめのころ、記録はほとんど私が書いていました。今は、進行役とは別の誰かが、持ち回りで書いています。記録係によって、文の長さも、書き出しも、まるで違います。短い改行ばかりの記録もあれば、食べものの話から始まる記録もある。それが、読み返していていちばん楽しいところです。
今月の記録は、ヤギに任せました。二時間ずっとアクセルを踏んでいたような映画の回だったので、私が書くより、ずっと合っていた気がします。
画面越しで、よかったこと
毎月の会は、六年間ずっと画面越しです。ただ、十二月にしずく大賞の票を開ける夜は、二〇二二年から、来られる人だけが都内の貸し会議室に集まるようになりました。去年の五月には五周年で、十一人が同じ部屋にいました。
それでも、毎月の会を同じ部屋に移そう、という話にはなりません。住んでいる場所がばらばらで、みんなの生活の時間もばらばらだからです。夜勤のある人、子どもを寝かしつけてから参加する人、学生の人。画面越しだからこそ、それぞれの暮らしの一番いい時間に、同じ作品を浴びられる。
それに、自分の部屋で観ることには、自分の部屋でしか起きないことがあります。窓の外の雨の音や、台所の冷蔵庫のうなる音、家族の寝息。そういうものが、作品と混ざって、その夜だけの感情浴になる。記録を読み返すと、作品の話と同じくらい、それぞれの部屋の音のことが書いてあります。
六年前の五月、画面越しに初めて同じ作品を観たあの夜、見終わってから誰の画面からも音がしなかった数分がありました。水の中で、同じ音を聴いていたような時間でした。
あの数分を、私はいまも毎月、同じように過ごしています。
来月は第七十四回。オトの進行で、音楽の回です。いつものように、部屋を暗くして。
(栞)