この連載を始めて一年、読み終えたあとに何も食べたくならなかったのは、今回が初めてでありました。
ふだんのわたくしは、本を閉じると台所に立ちます。漫画に出てきた卵焼きを焼き、エッセイに出てきた味噌汁をこしらえる。この連載も、そういう「読んだら作りたくなった」話をつづるためのものでした。
ところが、高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を読み終えた夜、わたくしは台所の前に立ったまま、しばらく何もできませんでした。冷蔵庫を開けて、また閉めた。ぬか床をかき混ぜる手も、なんだかいつもより重たかったのです。
どんなお話か
去年の春に出て、夏に芥川賞をとった小説です。題名だけ見ると、温かい食卓のお話のように思えます。わたくしもそう思って手に取りました。
舞台は、ある会社の、さほど大きくない職場です。食べることに、どうにも熱心になれない男性社員がいます。ちゃんとした食事をとるのは面倒で、夜はカップ麺ですませてしまう。一方、同じ職場には、体が弱く、無理のきかない女性社員がいて、彼女は手作りのお菓子を焼いては、職場のみんなに配っています。そして、そんな彼女に複雑な気持ちを抱く、もう一人の女性社員。
お話は、この三人のあいだの、目に見えない小さなずれを、じわじわと描いていきます。大きな事件は起きません。けれど、読んでいるあいだじゅう、胃のあたりが少しずつ重たくなっていくのです。
食べものが、心地よくない
わたくしがこれまで連載で取り上げてきた作品では、食べものはいつも、人と人とをつなぐものでした。誰かが作ったごはんを、誰かが食べる。そのひとくち目で、心がほどける。
この小説では、それが反対に働きます。手作りのお菓子は、やさしさであると同時に、断りにくさでもある。みんなで一緒に食べることは、楽しさであると同時に、息苦しさでもある。「おいしいね」と言い合うことが、ある人にとっては、とても疲れることなのかもしれない。
わたくしは、その視点をこれまで一度も持ったことがありませんでした。
食べることが好きな人間は、食べることが好きではない人のことを、つい忘れてしまいます。職場でお土産のお菓子を配るとき、わたくしは誰かを疲れさせていなかったでしょうか。「これ、おいしいから」と差し出したとき、相手はどんな顔をしていたか。読みながら、いくつかの場面を思い出して、少し背中が冷たくなりました。
それでも、ぬか床をかき混ぜる
誤解のないように書いておくと、わたくしはこの小説を読んで、食べることが嫌いになったわけではありません。
むしろ逆で、食べることを、もう少しだけ丁寧に考えるようになりました。ぬか床にたとえるなら、ふだんは表面ばかりかき混ぜていたところを、底のほうまで手を入れてみた、という感じでしょうか。底のほうには、少し酸っぱくて、少し匂いのきつい層があります。それもまた、ぬか床の一部なのです。
感情浴では、「おなかを空かせたい」という気持ちを、わたくしはとても大事にしてきました。けれど、食べものの作品に「考え込みたい」という気持ちで向き合うこともできるのだと、この小説に教わりました。
誰にすすめるか
この本は、仕事で疲れた日に読むと、少ししんどいかもしれません。職場の人間関係の、言葉にならない部分が、そのまま描かれているからです。
すすめたいのは、職場で「気がきく人」だと言われている人です。それから、わたくしのように、食べることが好きで、それを疑ったことのない人。短い小説なので、休日の午後に一気に読めます。
読み終えたあと、何も食べたくならなくても、大丈夫です。わたくしは結局、翌朝になってから、いつもより薄めのお茶漬けを一杯、ゆっくりいただきました。ひとくち目が、いつもより少しだけ、ありがたく感じられました。
次の回は、また白いごはんが欲しくなる作品に戻ります。たぶん、冬の鍋のお話です。
(ぬか)