声を一度も使わずに交わされる会話を、なぜ筆者たちは少しも「静か」だと感じなかったのだろうか。
二月の感情浴会は、生方美久脚本のテレビドラマ『silent』を取り上げた。去年の秋に放送された全11話の連続ドラマである。進行ははるまき。当日は第1話を同時に再生し、残りはそれぞれ最後まで観てきた。この夜は十人がそろった。
高校時代に付き合っていた二人が、八年ぶりに再会する。そのあいだに、男性のほうは聴力を失っていた。彼女には、ある時から連絡が途絶えた理由が分からないままだった。再会した二人は、手話と、筆談と、表情とで、もう一度言葉を交わしはじめる。そして彼女の隣には、今、別の誰かがいる。
はるまきは、第1話の再会の場面を挙げた。街の雑踏の中で、彼だけが別の音の世界にいることが、画面の音の作り方で分かる、という。いや、ほんとに、と言いかけて、そのあとは言葉にならなかった。
草餅は、手話で話す場面の、手の動きと手の動きのあいだの一瞬に、漫画のコマとコマのあいだと同じものがある、と言った。ロクは、音楽の使い方がとても少ないことを挙げ、要するに、音を引くことで台詞を大きくしている、とまとめた。ぬかは、登場人物たちが食卓を囲む場面ばかり覚えていたそうで、ひとり、少し場を和ませた。
ところで、切なくなりたい、というテーマで観たはずが、話はいつのまにか、彼女の今の恋人の話になっていった。誰も悪くないのに、誰かが一歩引かなければならない。凪とオトは、その人物がいちばん切なかったと言い、筆者もそれに同意する。
冒頭の問いに、筆者なりの答えを書いておく。この作品の会話は、音がないぶん、見ている側が相手の顔と手を、ひとときも目を離さずに見るしかない。見続けることは、聞くことよりも、ずっと体力の要る行為なのだと思う。静かではなかったのは、観ているこちらの心のほうだった。
最後に、筆者のことを一つだけ。来月から、会を離れることになった。この二年と少しのあいだ、たくさんの本を読み、たくさんの問いを出させてもらった。ひとつ確かなのは、結末に触れずに驚きを伝える書き方だけは、ここに残していける、ということである。
(記録:鹿の子)