なぜ、料理の手順がそのまま書かれているだけのページを読んで、あれほど空腹になるのだろうか。
この回のこと
九月の感情浴会は、よしながふみの漫画『きのう何食べた?』を読んだ。進行ははるまき、記録は筆者である。長く続いている作品なので、第1巻だけを読んでくることにした。この夜は九人全員がそろった。
弁護士として働く男性が、恋人と暮らす部屋で、毎晩の夕食を作る。材料の値段、段取り、鍋を火にかける順番までが、ほとんど省かれずに描かれる。仕事の話や家族の話も出てくるが、どの話も最後は必ず食卓に戻ってくる。
話したこと
はるまきは、主人公が買い物の帰りに、冷蔵庫の中身を頭の中で並べ直している場面を挙げた。子どもの弁当を考えるときの自分とまったく同じで、読んでいて照れてしまった、という。
オトは夜勤の前に読んだそうで、読み終えてすぐ、冷蔵庫にあった卵を焼いたと言っていた。ヤギは、鍋の場面を読むと手が止まる、と。料理をしない人間にとっては、段取りの多さそのものが冒険の地図に見えるらしい。
灯は、主人公が作る料理そのものより、二人が向かい合って食べはじめる前の一コマが好きだと言った。湯気の立つ皿を前に、まだ誰も箸を取っていない時間のことである。
筆者のこと
ところで、筆者はこの作品を、推理小説を読むように読んだ。献立は、その日の主人公の気持ちの見取り図になっている。忙しかった日は手早いもの、気がかりなことがある日は手間のかかるもの。料理の手順を追っていくと、主人公が言葉にしなかったことの間取りが、少しずつ浮かび上がってくる。
ひとつ確かなのは、この本は夜に読むと危ないということだ。筆者は会のあと、夜中の零時を過ぎてから台所に立ち、読んだ中でいちばん簡単そうな一品を作ってしまった。味は、まずまずだったと思う。
次回
十月は筆者が進行を務め、ミステリを読む。記録は灯が引き受けてくれた。
(記録:鹿の子)