ラルム / 作品の記録

2026.10.29媒体 エッセイ記録 ぬか

献立と天気と、買ったものの値段だけで、十三年ぶんの山の暮らし 武田百合子『富士日記』

朝ごはんの献立を、書き留めたくなった
『富士日記』の表紙
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上巻を閉じて最初にしたことは、冷蔵庫の中身を紙に書き出すことでありました。

卵が四つ。ぬか床のきゅうりが二本。豆腐が半丁。それだけのことを書いただけなのに、なぜだか、自分の台所が少しだけよそゆきの顔になったのです。

四年と少し前の、灯さんの一冊

この本の名前を知ったのは、わたくしが一滴舎に加わる少し前に出た、しずく通信の冬の号でした。

灯さんが、こたつの上にある読みかけの三冊について書いていました。その二冊目が、この『富士日記』です。食べたものと、天気と、買ったものの値段。灯さんはそう紹介していました。

それを読んで、わたくしは、すぐに本屋へ行きました。けれど、そのときは上巻の途中で止まってしまった。三冊ある、と知って、少し尻ごみしたのです。今年の秋、ようやく上巻を最後まで読みました。

山の家の台所

書き手の武田百合子さんは、作家の武田泰淳の妻です。夫婦は、富士山のふもとに山の家を建て、東京とのあいだを車で行き来しながら暮らしました。この本は、その山の家で書かれた日記です。昭和三十年代の終わりから、十三年ぶん。

中身は、本当に、灯さんの書いたとおりです。

朝に何を食べたか。昼に何を食べたか。夜に何を食べたか。その日の天気。麓の町で何を買い、いくら払ったか。誰が訪ねてきたか。

それが、ほとんど毎日、並んでいます。

ひとくち目の代わりに

わたくしは、食べものが出てくる作品が好きです。けれど、この本の食べものは、おいしそうに書かれているわけではありません。献立の名前が、そのまま置いてあるだけの日も多い。

それなのに、おなかが空くのです。

たぶん、くり返しのせいだと思います。毎日、ごはんを炊く。毎日、何かを煮る。同じおかずが、何日か続く日もある。読んでいるうちに、その台所のリズムが、こちらの体に移ってきます。白いごはんが欲しくなる、というより、ごはんを炊く音が聞きたくなる。

夫婦はよく、お酒を飲みます。わたくしは飲めないので、そこは麦茶に置き換えて読みました。

ほどけるところ

日記なので、大きな筋はありません。

けれど、ときどき、書き手のまなざしが、ふっと深くなる日があります。道ばたで見たもの。動物のこと。人の言ったひとこと。それを、飾らずに、見たままに書く。かしこまった言い方も、気取った言い方もしない。その書きぶりに、わたくしの肩の力が、少しずつ抜けていきました。

一日ぶんずつ読むのが、いいようです。わたくしは、朝ごはんの前に数日ぶんずつ読んでいます。


浴びてほしい人

  • 毎日の献立を考えるのに、少し疲れている人
  • 大きな出来事の起きない本を、長く読み続けたい人
  • 日記をつけようとして、三日でやめたことのある人

浴びる時間

休日の朝、ごはんを炊いているあいだに。ひとりの週末に、一冊を少しずつ。全部で三冊あるので、急がなくてかまいません。

作品データ

項目 内容
書名 富士日記(上・中・下)
著者 武田百合子
刊行 1977年(中央公論社)。同じ年に田村俊子賞を受けています
いま読める本 中公文庫の新版(上・中・下)

近い気持ち

中巻は、まだ机の上にあります。灯さんに、いま中巻のどのあたりですかと聞いてみたら、「わたしもまだ下巻の途中です。たぶん、五年目に入りました」という返事でありました。

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